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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

天皇とロックフェラー家

 天皇とロックフェラー家

 

週刊新潮2019年4月11日号の記事から。 

当時19歳だった皇太子(今上陛下)がNYのロックフェラーの家に招かれ、予定もメディアも入れない中、ロックフェラーの皇太子に選択を与えて自分で計画させよ」との指示の元、完全に自由な5日間を過ごしたことが書かれています。

その時の皇太子の行動は詳細に報告書に書かれていたというのです。

天皇家とロックフェラーの関係が示すこと、そこからわかることなども調べてみました。

 

 

ロックフェラー家の別荘で5日間、自由を満喫した19歳の今上陛下

週刊新潮2019年4月11日号

「ロックフェラー機密文書」でひもとく今上陛下の『ローマの休日

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  晩食会の立役者はロックフェラー、ロックフェラーが頼ったのはバイニング夫人

明仁皇太子は1953年3月から、昭和天皇の名代として、エリザベス女王戴冠式に出席するため、半年に及ぶ外遊に出発。

英国のほか、スペイン、フランス、米国など述べ14カ国を回った。

 

NYでの晩餐会では、両国の関係者1500名が出席。

その晩食会の立役者が主催団体ジャパン・ソサエティの理事長、ジョン・ロックフェラー3世だった。

この晩食会でスピーチをしたのは当時のアイゼンハワー政権で国務長官だったジョン・フォスター・ダラス

ジョン・F・ダラス氏は日本が独立を取り戻した講話条約の締結を陰で支え、設立間もないCIA(米中央情報局)長官の弟アレン・ダレスとともに米外交を一手に担った人物。 

 

 

皇太子出席のこの晩食会をはじめ、米国滞在中のプランを考えていたのは、ロックフェラーと、ロックフェラーが頼ったバイニング夫人だった。

 

バイニング夫人は敗戦直後の皇太子の家庭教師。

バイニング夫人は、あらゆる決定を他人任せで受身な態度の皇太子を改めさせるために、アメリカ的な民主主義の思想と実践、自分の意思で行動するように、まず本人に自分で行動する自由、選択する権利を与えることが近道だと考えた。

このバイニング夫人の考えをロックフェラーは生かしたらしい。

 

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皇太子一行は9月25日から5日間、ワイオミング州ジャクソンホールにあるロックフェラー家の別荘に滞在した。

専用のコックと護衛のみでマスコミは入れない、細かい予定も決めずに皇太子に選択を与えて自分で計画させよ」とロックフェラーは側近に指示したという。

その時の側近、チョーリーは、忠実に指示を実行し、在中の振る舞いや反応など詳細な報告書が書かれているという。

皇太子は初めて自分の意思で行動する自由を得て、おずおずとカフェテリアの列に並び、市民に混じって昼食をとった。

 ロックフェラー家で自由な5日間を過ごした皇太子の6ページからなる報告書はバイニング夫人も回覧していた。

バイニング夫人は、

「殿下にとって、なんと素晴らしい体験だったことでしょう!自分で選択できる自由は生涯を通じて忘れられないと思います。(中略)これが世界の歴史にどういう影響を与えることか、誰が知るでしょう

と将来の天皇についてこう、予言めいた言葉を残していた。

 

「(殿下は)ご自分の使命を自覚し、真摯にそれを受け入れておられる。綿密で、思慮深くあられるが、ことに当たっては、思い切って伝統を断ち切ることのできる、あの真の保守主義者の能力を持っておられる」(『皇太子の窓』)

 

皇太子はこのニューヨーク滞在中に公開されたばかりの「ローマの休日」も鑑賞している。

 

あの映画のクライマックス、束の間の自由を味わって、いつの間にかアン王女は、グレゴリー・ペック演じる記者と恋に落ちるが、互いに気持ちを言い出せぬまま、王女は祖国と王室への義務を果たすため、大使館へと戻っていく。その翌日に開かれた記者会見で、瞳に涙を浮かべながら彼女は「ローマの思い出は一生忘れないでしょう」と語るのだった。

 

平成に入って外務省が公開した皇太子外遊の記録には、なぜか晩食会でのダレスのスピーチや別荘での様子、『ローマの休日』を鑑賞されたことなど一切見当たらない。

 

 

これを書いた記者

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 は、

天皇が慰霊の旅を続け、日本人だけでなく米軍兵士や韓国人の慰霊碑にも立ち寄り、その一方で靖国神社には即位してから一度も参拝しないこと、そのことに保守派から疑問や反発の声も出ているがそれでもこうした態度を貫くことは、天皇の強い意思と決断がにじみ出ている。

天皇は、即位以来、国内の保守派の反発を受けても沖縄や海外への慰霊の旅を続け、戦争への「深い反省」の言葉を口にしてきた。それは決して周囲のいいなりではない、自らの意思で行動する姿で、これこそ、バイニング夫人が身につけさせようとしたものであった。

その最後の集大成が、今回の譲位を決断した生前退位と言えまいか。”

 と書いている。

 

  

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本文を短くするために文章を直しているところがあります。

正確な記述は原文を読んでください。

 

バイニング夫人とアメリカ教育使節団と昭和天皇

バイニング夫人の教育

あらゆる決定を他人任せで受身な態度の皇太子を改めさせるために、アメリカ的な民主主義の思想と実践、自分の意思で行動するように、まず本人に自分で行動する自由、選択する権利を与えることが近道だと考えた

  

バイニング夫人を明仁皇太子の家庭教師につけたのは、昭和天皇 

本文にもあるように皇太子の家庭教師にアメリカ人のバイニング夫人をつけたのは、昭和天皇だった。

 

のちに回顧録(『皇太子の窓』)でこう述べている。

「私は天皇陛下ご自身に任命された家庭教師なのである」

 

バイニング夫人の著書「皇太子の窓」のこの部分の正確な記述

http://www.kanekashi.com/blog/2015/06/4231.html

 こちらのブログからお借りしました。

アメリカ人の家庭教師」というのは、占領軍から押し付けられたのだというような推測がしばしば行われているが、これくらい事実に反するものはない。「アメリカ人の家庭教師」というは天皇御自身が思いつかれたのである。皇太子の教育を委任されている人々とご相談になることさえなく、御自分から進んで申し出られたのであって、まったく先例のないことであった。(『皇太子の窓』31ページ)

 

さらに、同じブログから、昭和天皇アメリカ人家庭教師を皇太子につけるに至った背景についても解説がありますので、こちらも引用させていただきます。

 

昭和21年(1946年)

訪日したアメリカ教育使節団が皇居を訪れた際に、昭和天皇が、団長のジョージ・ストダード博士に家庭教師をひとり、世話してもらえないかと声をかけたのが、きっかけ。

 

  アメリカ教育使節団とは?

アメリカ教育使節団はマッカーサー連合軍総司令部からの要請によって招致された団体であり、日本の軍国主義的教育を一掃する目的があった。もっとはっきり言えば、日本人がこれ以上、アメリカに逆らえないように「洗脳」するのが目的であった。

使節団の名前の中に「ロックフェラー財団」の名前も見える。

 

 

皇太子が欧米を外遊し、NYに行くのはこの3年後、

 

昭和24年(1953年)

明仁皇太子、欧米訪問、ロックフェラー家で予定のない自由な5日間を過ごす。

 

昭和26年(1951年)、「昭和天皇・ジョン・F・ダレス会見」

この時、ダレスといっしょに来日したがロックフェラー三世。

 その年(引用者註:1951年)、ジョン・F・ダレスはサンフランシスコ講和条約を結ぶためのアメリカと駆使として日本にやってきますが、その時、ジョン・ロックフェラー三世を連れてきたのです。

それはダレスなりの考えがあってのことでした。(中略)日米の文化交流ができないだろうかというわけで、ロックフェラーを連れてきたのです。ロックフェラー自身も、同じ考え方をしていました。(ジャーナリスト・松本重治の『昭和史への一証言』236ページ)

 

昭和50年(1975年)

昭和天皇アメリカ訪問

ホワイトハウスで開かれた、フォード大統領夫妻主催の晩餐会で行った、有名な「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」というスピーチが、日米両国民の胸を打ったというエピソードとして長く語り継がれている。

 

そして、そのスピーチは「暖かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べる」と続く。これは、戦後の「天皇外交」により、直接アメリカ財界の代表者であったダレスと談判して今後の日本の体制をつくったのが、昭和天皇であったことを考えれば、みずから決断した事業に対する振り返りであっただろう。

 

昭和天皇アメリカ滞在中の10月5日、ニューヨークではロックフェラー三世(1906-1978)邸を訪問している。そして翌日の6日には、ロックフェラー三世主催のジャパンハウスでのレセプションに参加した。

 

あなたの意思が大事,あなたの希望したとおりに行動せよという危険な考え方はこのころに種まきされ、背景には昭和天皇の協力(賛同)もあったということがわかります。

 

先ほどのブログ

http://www.kanekashi.com/blog/2015/06/4231.html

 では、 

ロックフェラー財団やフォード財団といったアメリカの「財界」は、戦後の日本に対して「フィランソロピー」、つまり慈善事業として巨額の資金を投入している。このことは『戦後日米関係とフィランソロピー』に詳しい。ただし、それは純粋に善意によるものではなく、長期的な「投資」だった。つまり、日本が今後良好な市場になるように、反米的な教育をしないように、下地をつくっていたのである。

 

こうして背景を探っていけば、昭和天皇アメリカの政財界、特にアメリカ最大の財閥であるロックフェラー一族に対して、自らの皇太子の教育を任せたことの意味が分かるだろう。ヴァイニング夫人は、属国の指導者を管理するための要員なのである。

 

一国のトップの行動は、下々の者たちにも影響を与えるだろう。お上のやることを、下々のものはみな真似をするのである。日本の支配階級が、ほぼ例外なく、アメリカべったりであるのは、このような理由があるのである。

 

敗戦しても、敗戦国のトップがそのまま残るということは、考えてみればこういうことですよね。

そこを未だに受け入れられず、消化もできずにいるのが今の日本なのかもしれません。

 

ところでロックフェラーといえばフリーメーソンです。

マッカーサーフリーメーソンであるのに、どうもこの1953年の晩食会では出席を辞退しているようです。

どうなっているのか。

いろいろ裏のつながりを調べていたらこんがらがってきましたので、とりあえず現在のフリーメーソンの会員さんが解説している動画を拾ってきました。

あっけらかんと、「フリーメーソンのトップは天皇」だと語られています。

しかもあの退位には退位せざるを得ないことが起きちゃったから・・と。

youtu.be

 

<経済の話>

こちらは経済の話、世界のマネーはどう動くのか。

実は日本の本当の権力の中心、憲法外の存在、権威であるところの新天皇がどう動くのかを世界は見ている。それによって金融が動く。つまり天皇が鍵だと。9:00〜

youtu.be

この方の経済の話はよくわかりませんが、とにかく天皇家の影響力はただ事ではないということはわかります。

 

TPP、移民、アイヌ新法、何をとっても良い方向に動いているとは思えない日本で、世界の金融のトップが日本の天皇ならこれほど心強いことはないーと一瞬思ったのです。

 

が、よく考えてみるとフリーメーソンのトップは悪魔崇拝をしているイルミナティという組織のはず。

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画像:https://urbanlegend-jp.com/blog/freemasonry-02/

 

この特別な存在というのはどういう意味でしょうか。

文字通りのフリーメーソンのトップが天皇ならば、イルミナティのトップということと同じ意味になるのですが。

いろいろな説があって頭がこんがらがってくるのですが、ツイッターではこんなはなしもありました。

 

 

 

 

他のサイトにはこのイルミナティの上に位置するのがイエズス会だとも書かれています。

イエズス会といえば小室さんのフォーダム大学

 裏ではどうつながっているのでしょうか。