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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

本当は怖い皇室外交

 本当は怖い皇室外交 

鳩山元総理が、新天皇訪韓を期待しているらしい。

新しい天皇が韓国を訪問し、明仁天皇と同じ気持ちで韓国国民に接すれば、両国関係は大きく進展を成し遂げる」

今の時期にあり得ないと思うのですが、平成4年、天安門事件で世界中から経済制裁を受けていた最中に訪中した両陛下を思うと、全くあり得ないともいない気がして心配です。

 

 

鳩山元首相 新天皇訪韓に期待

3/29(金) 17:07配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190329-00000055-yonh-kr

【ソウル聯合ニュース鳩山由紀夫元首相は29日、ソウル市内で開かれた日本による植民地時代の1919年に起きた独立運動三・一運動」100周年を記念する討論会に出席し、5月に即位する新しい天皇が韓国国民の歓迎を受け、訪韓する機会が生まれることを望むと述べた。

 鳩山氏は2015年8月、植民地時代に抗日独立運動家らが投獄されたソウル市内の西大門刑務所歴史館(旧刑務所跡)を訪れ、追悼碑の前でひざまずいて合掌し話題となった。

 鳩山氏は討論会で、韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長が旧日本軍の慰安婦問題を巡り、天皇が謝罪すれば解決するなどと発言し日本国内で批判の声が上がったことに触れ、明仁天皇が1994年に日本を訪問した当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領を招いた宮中晩さん会で、朝鮮半島の人々に多大な苦難を与えた一時期があったと言及し、「深い悲しみ」という表現で韓国国民に謝罪の気持ちを伝えたと説明した。

 その上で、新しい天皇が韓国を訪問し、明仁天皇と同じ気持ちで韓国国民に接すれば、両国関係は大きく進展を成し遂げると強調した。

 現在の両国関係に関しては、両国政府が元徴用工の尊厳や名誉を回復させるため、冷静に対話することが非常に重要だと指摘した。 

 

 鳩山氏は2015年8月、植民地時代に抗日独立運動家らが投獄されたソウル市内の西大門刑務所歴史館(旧刑務所跡)を訪れ、追悼碑の前でひざまずいて合掌し話題となった。

こちらに↓その時の写真がいっぱい出ています。

https://mzponta.hatenablog.jp/entry/20150813/p6

  

天安門事件の3年後、欧州各国から制裁を受けていた中国へ行かれた天皇皇后両陛下

平成4年の両陛下の訪中について

引用元:

https://hinomoto.wiki.fc2.com/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%9B%E4%B8%8B%E8%A8%AA%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

 
櫻井よしこ
週刊新潮2006年1月5・12日号ー領土を奪おうとする国になぜ両陛下の御訪中で応じるのか

92年、中国は日本の領土である尖閣諸島を奪う意図で領海法を制定、尖閣諸島を中国領と宣言した。

そのときに、日本政府はなんと、天皇皇后両陛下の御訪中を実現させた。

領土を奪おうとする国になぜ友好親善の最高の切り札である両陛下の御訪中で応じるのか。

強い反対論が渦巻いたとき、御訪中は陛下の御意向だという情報が流され、反対論がおさえられた。

御訪中によって未来永劫、日中友好は担保されると政府は説明したにもかかわらず、それから13年後の今日の現実はそうはなっていない。

“陛下の御意向”という天皇家の政治利用が、決して良い結果を生まないのは、それが反対論潰しの便法にすぎないからだ。

論理や熱意やこの国への愛で論破する力がないために、究極の政治力を使おうとする試みは心して排除しなければならない。

 

 

噂の真相1993年3月号ー訪中を最も積極的に進めていたのは外務省、天皇宮内庁との折衝にあたっていたのが他ならぬ、小和田次官
〜〜
しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6~8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。
そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。
ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。
そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”というムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇宮内庁との折衝にあたっていたのが、他ならぬ小和田次官だった。「小和田さんは去年の7~8月にかけて訪中問題で宮内庁藤森昭一長官、そして天皇陛下にも10回近く会っている。これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者) 
 
産経新聞2017年1月3日 
銭其元中国副首相、日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たした

「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤

 

象徴天皇として新しいスタイルを活発化される陛下。

だが、その思いとは別のところで、政治的に利用しようという勢力も忍び寄る。

平成4年の中国訪問をめぐっては、国内が賛否で二分された。

当時の宮澤喜一内閣は、石原信雄官房副長官の主導で官邸に識者を招き意見を聞いた。

天安門事件の3年後で、中国は欧州各国から制裁を受けていた時期

当時の外務省の担当者によると、中国側は「陛下に来てもらえれば、感情的なわだかまりは終わる」としきりに主張したという。

政府は結局、「中国を孤立させるのは正しくない」と訪中に踏み切った。

10月23日からの訪中では、両陛下は、いつも通り親善に努められた。

その中で、後に陛下が周囲に印象深く語られた場面があったという。

(中略)

だが後年、銭其元中国副首相は訪中について回顧録に「日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たすものだった」と記した。

「わだかまりは終わる」の言説はどこへやら、平成10年に国賓として来日した江沢民国家主席は歓迎の宮中晩餐会で陛下を前に「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と述べた。

当時の関係者は「陛下は数年後、私の中国訪問は良かったのだろうか、と話されていた」と打ち明ける。

直接、晩餐会のことを言ったわけではないが、陛下は今も考え続けられているのだろうー。関係者はそう話した。

  

 外国人に利用されかねない皇室外交ー実例として「美智子皇后慰安婦問題」の逸話

 一般社団法人 日本外交協会

http://www.spjd.or.jp/?p=2081

「皇室外交」は時として、外国人に利用されかねない。その実例として「美智子皇后慰安婦問題」の逸話を紹介 昭和史研究者の保阪正康は「天皇が時代を作る。天皇に時代が濃縮される」と書いた。至言であろう。

原武史明治学院大学教授)は美智子皇后を「最高のカリスマ的権威を持った政治家」と評した。全くもって同感だ。

<現場③アムステルダム「ホテル・オークラ」>

 しかし既に触れたように、「皇室外交」は時として、外国人に利用されかねない。

ここでは、その実例として「美智子皇后慰安婦問題」の逸話を紹介する。

「日本軍『慰安婦』とされたオランダ人女性たちの声」という副題がついた、マルガリート・ハーマー著「折られた花」(新教出版社、2013)が、そのネタ本だ。

ハーマーは、オランダ人慰安婦救済のために作られた公的団体の代表者だ。

アジア女性基金による支援策を実施するため、オランダ側で尽力した。

2000年5月、日蘭修好4百周年記念として、天皇皇后両陛下がオランダを公式訪問された。彼女の記述によると、以下のようなことがあったという。

――私が署名した極秘の書簡が、皇后の親友を知るという人に手渡された。

この人はその書簡を皇后の親友に手渡し、その親友を通して皇后に渡そうという手はずが整えられた。

その書簡には「リア(オランダ人慰安婦)の悲しい人生のこと」などが述べられていた。

ところが、この書簡の存在がオランダの新聞社に漏れ、慰安婦、日本の皇后に助けを乞う」という大見出しで報道された。

(中略)アムステルダムのホテル・オークラで開かれた両陛下主催のレセプションに招待された。

会場ホールにしばらくいると、「池田大使夫人が私の所にやってきて、ついて来るように言った。皇后から私と話をしたい旨をあらかじめ伝えてあったらしかった」。

彼女はこの時の皇后陛下とのやりとりを、詳細に著書に記述している。

天皇皇后との会話内容を公開するのは、日本ではタブーだが、この外国人にとってはおかまいなしだ。

彼女は、美智子皇后のことを「このユニークな女性」(村岡崇光訳)と表記した。

この本によると、皇后陛下はリアと彼女の行方不明の子どもたちの名前をはっきり覚えており、「日本赤十字社と連絡を取り、二人を捜し出すよう指示した」という。さらに美智子皇后は「オランダにはこのような悲しい過去を持つ女性が他にもいるのか」と尋ねた。

皇后は彼女の手を両手で握りしめたまま「日本がこの女性たちになしたことを詫びた」という。この会話の真偽は確認しようもない。皇后との会話の「暴露」が、外交的には危うい局面で展開された、と解釈するのは私だけだろうか。(文中敬称略)  

 

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外務省は敗戰史観で動く組織、宮内庁は外務省出身者ばかり。

ハンガリー女性ユディさんのコメント★「私ハンガリーの雑誌で、南京大虐殺を非難するアイリスチャンの発言の矛盾点を指摘したんです。誰が文句言ってきたと思いますか?【日本の外務省】ですよ! 編集長に「あなた何してる? 日本でも知られている雑誌でこういう話はやめて」って言われました。 pic.twitter.com/ObfsGhdFG0

— ⓚⓐⓦⓐⓘⓘ⊿ (@japan_7777777) 2019年3月19日

 

 政治は戦後レジュームの固定化が進んでいる

https://t.co/1fbtrbgTGR

安倍第一次政権時に始まった日中共同歴史研究。外務省より。
南京事件はp270。

つまり「あった」ことは日中両政府により確認済み。

— 緒方魚紳 (@5scxgbz9kclBZCS) 2019年3月17日

 

2006年、安倍首相が立ち上げた「日中歴史共同研究」
南京大虐殺を正式に認めていた

安倍さん、戦後レジュームからの脱却と言っていた2012年の6年も前に、南京大虐殺を認めていたのですね。

 

 https://buzzap.jp/news/20170118-nanjing-massacre-jp-gov/

2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席(当時)が立ち上げた歴史共同研究の中で南京大虐殺が起こったことを正式に認めています。詳細は以下から。

2006年、就任したばかりの安倍首相は中国を訪問して胡錦濤国家主席(当時)と会談、両国は、相手側の「平和的発展」を評価するとともに、両国の責任は「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うこと」だと主張し、その一環として日中両国の研究者が未来志向の日中関係の枠組みの下で歴史共同研究を実施することになりました。

この歴史共同研究では日中からそれぞれ10名の研究者を選出、共同研究委員会を組織して古代・中近世史と近現代史の研究テーマを決定し、論文が執筆されています。

そして2010年1月31日に両国の研究者によって自国語論文(報告書)が発表されました。この際の日本語論文の270~271ページには南京大虐殺についての記述が存在しています。少し長いですが引用します。

支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38年1月4日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。

虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。戦後、極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第6師団長が、それぞれ責任を問われ、死刑に処せられた。

 
第2章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦  より引用)

 

 

 

平成27年、安倍政権、慰安婦問題、日本軍の関与も認めて謝罪

2007年には、ブッシュ大統領の前で従軍慰安婦問題を謝罪しています。

そのあとに、戦後レジュームの脱却と言い、河野談話は白紙にするしかないと言って選挙を戦い、2015年には、韓国との間で軍の関与を認めて謝罪するという真逆の結果になっています。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。

(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。

(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
 あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

 

雅子さまの記事に度々出てくる「皇室外交」文字 

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雅子さま 55歳・新皇后の決意…“皇室外交”に期待の声も

記事投稿日:2018/12/14 

https://jisin.jp/domestic/1693903/

新皇后となられる日が近づくにつれてご体調も上向き、地道な努力が実り始めているようだ。また、宮内庁東宮侍従や式部副長を務めた竹元正美さん(73)は、雅子さまの“皇室外交”に期待を寄せる。

皇后陛下が海外に訪問されると、現地のマスコミにも大きく取り上げられます。国際親善の場で担われる役割はとても大きいのです。雅子さまは療養期間中にも国連関係者と面会されたり、ご進講をお受けになったりと、皇后となられてからの国際親善を見据えた準備をしていらっしゃいました」

お代替わりへ向けて、雅子さまが続けてこられた地道な努力が実り始めている。

 

皇室外交が、他国の利益にならないようにしてもらいたい。

今の外務省は日本が不利になることばかりに一生懸命なので、外務省出身者でいっぱいの宮内庁と連動してどういうことになるのか、女性宮家だけでなくこちらも心配。