ootapaper

皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

【週刊文春】小室さんの近況、元婚約者は費用の問題があって協議に入れない

週刊文春】小室さんの近況、元婚約者は費用の問題があって協議に入れない

 

 週刊文春2019年2月21日号
小室圭さん黒縁メガネで猛ダッシュ NY緊急報告 髪は伸び、装いを変えて

f:id:ootapaper:20190214143140p:plain

 

小室圭さん黒縁メガネで猛ダッシュ〈NY緊急報告 髪は伸び、装いを変え〉【全文公開】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

f:id:ootapaper:20190215201054p:plain

「最近の彼は、時々黒縁メガネをかけています。以前はかけていなかったので、もしかしたら変装なのかな。髪もずっと切っていないようで、伸びてきた前髪やサイドの髪を後ろに流していてセクシーな感じ。服装は黒いシャツにグレーのVネックのニットを合わせるなど、シックでニューヨーカーっぽい雰囲気です。当初より少しやせたようにも見えますね」(フォーダム大学ロースクールの学生)

 

このほかに小室さんの専攻について、資格が取れた時の年収についてなどの詳しいことが書かれています。

協議を求められていた元婚約者がその後どうなったのか、どこも報じていませんでしたが、少しだけ触れています。

協議は実は進んでいないそうです。

その理由は小室さん側が弁護士を立てているため、元婚約者側も弁護士を立てたほうがいいだろうと考えているのですが、費用の問題があるので、すぐに弁護士を決められないのだそうです。

 

「〜〜なるべく早く決めて、協議に入れれば、と思います」

 

と元婚約者が話しているようなのですが、こういう話しを聞くと小室さんの弁護士費用はどこから?という別の疑問がまた沸いてきます。

テレビでは、借金専門の弁護士がいて、費用も後払いでいいなどの便宜を図るところがある、そういうところに頼んだのではないかと解説していましたが、小室さんの場合は借金返済を求める方ではなく払う方ですから、どちらにしても「支払うお金」プラス「弁護士費用」共にかかることになります。

そうなると、そのお金が出せるのはおかしくて、やはり皇室と小室さんはつながっているような気がします。

 

記事の最後は、お代替わりの後に移られる秋篠宮邸の改修費用総額33億円についての言い訳?説明のようなことが書かれています。

御仮寓所の費用9億8000万円には触れていませんでしたが、今の宮邸は1972年築の旧秩父宮邸を改修したもので、手狭で、水道管なども古く、たびたび改修の話しは持ち上がっていたが、秋篠宮さまは断ってきて、悠仁さまが誕生された際にも改修の話しが出たが『もっと古い宮邸があるから』と退けられ、11年に改修の話しが出た時も大震災の直後であるために辞退されたと。

そして最後は、秋篠宮さまは国民感情を何より大事にされる、だから

「〜〜借金問題が国民からどう思われるか、ということに思いを馳せられない小室さんに不信感を抱いていらっしゃるのです」(宮内庁関係者)

と結んでいます。

 

おなじような話しは、女性自身の↓こちらの記事にも倹約家の紀子さまとして載っています。

headlines.yahoo.co.jp

 

 下の方、太字部分

小室さん側の代理人が元婚約者X氏に面会を申し入れ、“借金トラブル”の行方に大きな注目が集まっている。

「借金トラブルの元凶には、佳代さんの非常識ともいえる金銭感覚があるのです」

皇室ジャーナリストが言う。

「佳代さんは圭さんが幼いころから、糸目をつけずに“王子さま教育”に投資してきました。3歳からバイオリンを習わせ、小学校も都内の私立小でした。‘02年に夫を亡くし、収入も激減。それでも佳代さんはパートを掛け持ちし、年間約200万円かかるインターナショナルスクールの学費を稼ぎました」

そして、圭さんのICU進学と同時期に佳代さんはX氏と婚約する。

「佳代さんは婚約後、入学金や授業料の援助を要求するようになったといいます。アナウンススクールにアメリカ留学と、圭さんへの投資は加速。それらの費用を無心されたX氏は、のちに愛車のジャガーを売却し、マンションもローンが払えず引っ越しすることになったそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)

こうした佳代さんの教育方針に苦言を呈するのは宮内庁関係者。

「もちろん愛するわが子のためによりよい教育環境を望むのは、親として当たり前のことでしょう。しかし佳代さんの場合は、すべて自分たちの都合ばかりを優先した行動に見えます。美智子さまは昨年10月の誕生日に《どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの》という陛下のお言葉を紹介されました。小室さん母子の行動は、そういった皇室の価値観と相いれません」

とりわけ佳代さんに対して厳しい姿勢を見せているのは、紀子さまだという。

秋篠宮家は長年にわたり予算不足に悩まされ、紀子さまは必死にやりくりされていたのです。職員が少ないなか自ら電話番をし、メモ用紙に裏紙を再利用されていたこともありました。『自ら律すべき』と倹約を徹底された紀子さまだからこそ、佳代さんの感覚は受け入れられないはずです」(前出・宮内庁関係者)

借金トラブルが解決しただけで、果たして紀子さまは納得されるだろうか――。

 

 

皇室のお金が小室さんに使われているのではないかと疑いの目を持たれている時に、週刊誌が秋篠宮さまや紀子さまについて「国民の感情を何より大事にされる」とか「自らを律する」とか書くのは、かえって反感を持たれないでしょうか。

 

そもそも仮寓御所も秋篠宮本邸の改修も、全ては両陛下が退位した後に東宮御所に住みたいと言ったことから始まるのですが、そこを書いている週刊誌はないのです。

そこがなく、いきなり仮宮御所が出来上がった、9億8000万かかったと発表になりました。

しかもその前が秋篠宮家の本邸に33億かかるというニュースでしたし、大嘗祭発言もありましたから、なんだか本当にうまくないなぁという感じがします。

小室さんの問題も宙ぶらりんなまま、コメント欄にもありましたが、小室さんを悪者にして叩いていればいいという時期ではありませんよね。

 

ちょっと前のヤフコメにもありましたが、小室さんが元婚約者にお金を借りていて返さないということは実は国民には全く関係がないことなのです。

関係があるのは眞子さまが小室さんと付き合っている間に皇室の力で特別な待遇を受けさせていたのではないか、お金を援助していたのではないか、そっちの方がずっと国民にとって大事な話で、秋篠宮さまと眞子さまには国民に説明する義務があるはずなのです。

 

小室さんの弁護士が、あの文書を出して国民から批判されることは「想定内」だと話していました。

どういうことなのか気になっていたのですが、もしかしたら、国民の批判が一気に小室さんに向かうように仕向けて、秋篠宮家への疑惑を打ち消そうという狙いだったのではないでしょうか。

 

 

 ーーーーー

ところで、この二つ前のブログで、アメリカ公文書にCIAのエージェントとして昭和天皇の名前があることを書きました。

書いている私が事実を消化できないまま書いているのですから、読んでいただいた方もこれがどういうことなのか、何が言いたいのかわからなかったと思います。

 

今もアメリカ公文書は全てが真実なのか、なぜ2007年にいきなり公表になったのか、何かしらの思惑があったのではないかなどについて、疑いながら考え中です。

 

ただ、今分かっていることは、少なくとも昭和天皇は、常に国民の側にいらしてくださったということです。

そのエピソードをもう一度、混乱のお詫びに書いておこうと思います。

 

御文庫で暮らしておられた昭和天皇

*(御文庫=防空壕、敵からわからないように御文庫と呼んでいた)

 

昭和19年暮れより、昭和天皇は、防空施設として造られた御文庫に住まいを移されます。

 

昭和20年5月、米軍の爆撃によって、 東京は焼け野原となり多くの一般市民が犠牲となりました。 

 

皇居も明治宮殿他27棟が全焼。 

 

陛下は「そっか焼けたか。 

これでやっと皆と同じになった」とつぶやいたそうです。 

 

住まいを失った陛下は防空壕で暮らす様になりました。 

陛下が暮らしていた防空壕は地下深く掘られた御文庫付属室。 

 

水が染み出しポタポタ落ちる。 

スーツを吊るして置くと、一両日で絞れる程の水を含む酷い湿気だったと言います。 

 

侍従の者が「こんな場所に住まわせてはおけない」と御所の新造を提言する 

「公の仕事をするには手狭なところがあるが、私生活に不自由はない、引揚者や戦災者のことを思うとそんなもの(新居)を別に造るときではないと思います」 

と却下されました。 

 

戦後の混乱期を乗り越え、

昭和34年、日本国民は皇太子殿下、美智子妃殿下の御成婚を華やかに祝う。 

 

その時ですら、昭和天皇香淳皇后防空壕で暮らして居られた。 

それからさらに年、終戦から16年経過して、やっと新たに建てられた「吹上御所」に移られた。 

 

「こんな良い家に住める様になったのも、皆んな国民のお陰だ」とおっしゃられた。

 

陛下は、還暦を迎える歳になっていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーー

自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした昭和天皇

youtu.be

 

昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー | 新時代のキリスト教

終戦直後の昭和20年9月27日、陛下が一人の通訳だけを連れて、マッカーサーのもとを訪れました。

マッカーサーは、陛下が命乞いに来られるのだと思いました。
ですから彼は、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしませんでした。椅子に座って背もたれに体を預け、足を組み、マドロスパイプを咥えた姿は、ですから陛下をあからさまに見下した態度であったわけで陛下の手は震えていました。

そのマッカーサーに対し、陛下は直立不動の姿勢をとられ、国際儀礼としてのご挨拶をしっかりとなさったうえで、このようにおっしゃられました。

「日本国天皇はこの私であります。
 戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
 私の命においてすべてが行なわれました限り、
 日本にはただ一人の戦犯もおりません。
 絞首刑はもちろんのこと、
 いかなる極刑に処されても、
 いつでも応ずるだけの覚悟があります」

弱ったのは通訳でした。
その通り訳していいのか?
けれど陛下は続けられました。 
                                  
「しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が住むに家なく、
 着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
 まさに深憂に耐えんものがあります。
 温かき閣下のご配慮を持ちまして、
 国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも、自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識なのです。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々として申されたのです。

マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
そして椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにして座らせました。 
部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と命じました。 

マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ち、そこで直立不動の姿勢をとりました。
天皇とはこのようなものでありましたか!
 天皇とはこのようなものでありましたか!」
彼は、二度、この言葉を繰り返したそうです。
そして、
「私も、日本人に生まれたかったです。
 陛下、ご不自由でございましょう。
 私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と言いました。 

陛下も、立ち上がられました。
そして涙を流しながら、 
「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。
 この私に何の望みがありましょうか。
 重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と申されたのです。 

そののちマッカーサーは、陛下を玄関まで伴い、自分の手で車の扉を開け、陛下をお見送りしました。
そして、あわてて階段を駆け上がると、これまでのGHQの方針を180度変更するあらたな命令を下しています。

 

ここに書かれていることは全部事実な訳です。

 

昭和天皇をいただいていた日本人は幸せでした。

  この時から74年。

今の皇室で起こっていることが悲しくなります。