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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

どこを慰霊の旅で訪れようとそこに御霊はない、天皇を批判したから?宮司退任へ

どこを慰霊の旅で訪れようとそこに御霊はない、天皇を批判したから?宮司退任へ

「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

 

この「潰そうとしている」という表現は確かに感情的であったとは思うけれど、そもそも表に出るとも思っていない場での発言なのだから、つい言葉がストレートになってしまったとしても仕方がないのではないか。

常に靖国神社の御霊に触れている宮司からつい漏れた本音、それはそんなに酷いものなのか。

「どこを慰霊の旅で訪れようと、そこに御霊はない、遺骨だけ。そいうことを真剣に議論し、結論を持ち発表することが重要」

「議論し」、も退任によってできなくなってしまうのではないか。

 

 

靖国神社宮司退任へ=天皇批判発言で

10/10(水) 19:05配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181010-00000132-jij-soci

 

全文転載:

靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が退任する意向を示したと発表した。

 同宮司をめぐっては、天皇陛下を批判する発言をしたと週刊誌で報じられており、責任を取ったとみられる。

 週刊ポストは10月12・19日号で、小堀宮司が6月、神社内の会議で「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ」「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社をつぶそうとしてるんだよ」などと発言したと報道した。

 靖国神社の広報担当者は、こうした発言があったことを認めた上で、「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と説明。宮司宮内庁に行き、陳謝するとともに退任の意向を伝えたと述べた。後任宮司については26日の総代会で正式決定するという。

 天皇靖国神社をめぐっては、1978年にA級戦犯が合祀(ごうし)されて以降、昭和天皇の参拝が途絶え、天皇陛下も即位後一度も参拝されていない。

 小堀氏は、3月1日から同神社の宮司を務めている。

 

問題になった記事は以下。 

 

陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」

2018.09.30 16:00

https://www.news-postseven.com/archives/20180930_771685.html?PAGE=1#container

f:id:ootapaper:20181001203252p:plain

天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。

◆「そう思わん?」「わかるか?」

 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。

 6月20日靖国神社社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、第1回の会議には、小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など職員10人が出席したことが当日の議事録に残されている。

 その会議の場で、靖国神社のトップである小堀宮司から、驚くべき発言が飛び出した。

陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?

さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。

「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」

 静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。

 この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。

 小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう言う。

今上天皇靖国を参拝されない理由はわかりません。が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」

 その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。
 

「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」
小堀邦夫宮司

 

こちらが音声なのだそうだ。

 

 

上の記事に対するツイート

 

天皇に喧嘩を売る靖国神社 もともと明治天皇により創建された靖国神社A級戦犯合祀を行った松平宮司から昭和天皇は距離をおくようになった 今回、今上陛下は靖国を潰そうとしているとの宮司の発言が表に出てしまった 日本の特殊性が現れた発言だと思う この発言の裏にこそ戦争の闇が隠されている

 

右派と保守はかつては大部分被っていたが今は違うようだ。勝手な天皇像を作り上げ、天皇はそれと違うと憤るのが右派。在る天皇をそのまま是とする、そういう自らを是とするのが保守。かつて右派もそうだったが、いつの間にか右派が変質した。

 

安倍首相が異常に固執している例外的な宗教行為は「靖国神社参拝」ですが、そこはまさに二代にわたって天皇が「行かない」と明言した例外的な場所です。安倍首相がもっとも憎むのは「現行憲法」ですが、天皇はあらゆる機会に「憲法を護ること」を第一の責務として挙げています。(内田樹

 

私は尊皇護憲派、今上天皇は9条護憲派で、昭和天皇から靖国神社の参拝をされなくなったお気持ちも共感します。 日本会議は尊皇ではない「気持ち悪い」

 

 

ヤフコメから、賛同する意見

A級戦犯と合祀されていることなど、今上陛下にとって例え靖国のあり方に納得されていない部分があっても、祀られている多くの人々は、戦争で国や家族ら身近な人々を守ろうと、辛い気持ちを封じて、靖国で会おうと散っていった人々ですよね。
国民を平等にというお気持ちが強いはずの皇室なのに、靖国を避けるのは散っていった人々やその遺族が気の毒な気がする。

 

富田メモによって、昭和天皇A級戦犯の合祀によって靖国神社に参拝できなくなったという考え方について

2006年、日経新聞昭和天皇、合祀に不快感」という見出しで富田メモの存在を報じましたが、実は「不快感」という言葉はメモの中にはありませんでした。

「A級が合祀されその上松岡、白取までもが、」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」。
これが元宮内庁長官富田朝彦氏が、昭和天皇のお言葉として書きつけたメモの内容だったといいます。 
櫻井よしこ氏は、下のブログでこの富田メモについて、おかしな点を挙げています。
メモの書かれた88年4月28日当時、陛下のご体調が万全でなかったのは周知のとおりだ。前年の9月12日に大量に嘔吐され、22日には手術が行われた。慢性すい炎とされたがガンであった。それから半年後の88年4月25日、誕生日を前に臨まれた記者会見は15分間、例年の半分の時間に制限された。報道各社はすでに万一の場合に備えて“臨戦態勢”に入っていた。その後も思わしくないご病状が続き、翌年の1月7日、陛下は崩御された。
外交評論家の田久保忠衛氏は次のように語る。
「あの時期の昭和天皇が、10年も前のA級戦犯合祀について、果たして御自分の意図が正確に伝わるように御意見を述べられていたのかどうか、失礼ながら、私は疑問に思っています」
 
次々と噴き出す“謎”
そして重要なのは、“A級戦犯”も含めて誰を合祀するかの決断は、靖国神社ではなく、厚生省、つまり政府が行なうという点だ。
合祀の手続きは政府から靖国神社に、合祀すべき人々の名簿、祭神名票が送られるところから始まる。靖国神社は同名簿を基に、その年に合祀する人々の名簿を新たに作成する。一定の書式に則って奉書に墨で清書し、絹の表紙でとじる。これは上奏名簿と呼ばれ天皇に奉じられる。
A級戦犯”の場合も、同じ形をとって、昭和53年10月7日に、天皇に報告された。合祀は10日後の10月17日に、18日には秋の例大祭が行なわれ、昭和天皇は勅使を派遣した。

 

サンフランシスコ条約発効後、日本政府が真っ先にしたことは戦犯とされた日本人の名誉回復

1951年(昭和26年)9月8日、日本はサンフランシスコ条約に調印

1952年(昭和27年)4月28日発効

1952年(昭和27年)4月30日、国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を成立させる。

戦傷病者戦没者遺族等援護法」とは、戦場で傷ついたり病気をしたのが元で亡くなった人、および戦死者の遺族に遺族年金を保証するということを取り決めた法である。

従来の軍人恩給の復活と考えれば当然のことだが、実はこのあと日本政府は大英断を下したのであった。

1953年(昭和28年)八月一日に、前記「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部改正を行って戦犯にもこの法律を適用し、戦犯の遺族に同等の遺族年金および弔慰金を支給することを決定したのである。自由党、改進党、左右両派社会党など全会一致で改正に賛成した。

つまりこの時点で戦勝国がどんな決定を下そうとも、独立日本政府としては戦死も戦傷病死も戦犯による刑死も、すべて国家のために犠牲になったとして、厚生大臣の認定ににより、その扱いに一切の差をつけないと決定したのである。

言い換えればここで、日本から戦犯という存在は無くなったとみていい。戦犯処刑という言葉は消えて。公文書では「法務死」と書かれるようになった。

上坂冬子靖国問題」より)

1953年から、日本には戦犯という存在は無くなったのです。

独立日本が最初にやったことが戦犯の名誉回復だったという事実。

 

先日の日弁連をテーマにした虎ノ門ニュースでも、ケント・ギルバートさんが

GHQの占領が終わった後、戦犯に恩赦をと言い出したのは日弁連だった」という話しをされていました。
戦犯を恩赦にするために、日弁連が国民4400万人の署名を集めて、国会で共産党も含めて全党一致で恩赦をきめたという話し。あのころは日弁連は“まとも”だったのだと。
 

上坂冬子さんの著書「靖国問題」に戻って)当時の国会の議事録には「戦犯は戦勝国から見れば犯罪人であろうが、日本にとっては犠牲者だ」という発言が繰り返されているとして幾つかの議事録を載せています。

一部を紹介すると。

 

衆議院討議 古屋貞雄

「〜略〜世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するなら問題にもならないような理由をもって戦犯を処分することは断じて我国民の承服しないところであります。我々全国民はこれらの人々の即時釈放を要求して止まないのであります。」

 

衆議院当時 山下春江

「パール博士は、さる11月11日に、巣鴨拘置所において、戦犯に対して(中略)「法律家の中には、連合国の作った方は、敗者であるみなさんのみを対象とした物であって、彼ら自身もしくは一般人類に適用されrない物であるということを告白している(中略)ここにおられる皆さんは可能なる最悪の不公正の犠牲者である(中略)。連合国は一体どこから権利を得てこれあの法律を作り、それを適用し、それによって判決を下し得たのであろうか」という挨拶をされておるのであります。

占領中、戦犯裁判の実装は、ことさら隠蔽されてましてその真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、固く禁ぜられて参りました。当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不運残虐能登であり、正義人道の敵として憎むべき物であるかという、一方的の宣伝のみでございました。(中略)年の瀬を控えまして、八度目の正月を獄舎に迎えんとする父と、ふるさとに寂しくも悲しく父を待つ妻と子らの上に明るい喜びをもたらす糸口となりますように、本決議案(戦犯の釈放等に関する決議案)に対して衷心より賛意を表し(中略)すみやかに解決せられんことを念願いたすものでございます(拍手)。」

 

こうして、1953年(昭和28年)以後、戦犯はいなくなり、すべての亡くなられた方を戦没者として同等に扱うことになったから祭神名票に従って、その霊は靖国神社に祀られることになった。
A級戦犯とされた方の祭神名票も1966年には引揚援護局から靖国神社に送られている。そこから合祀まで20年かかっているのは上坂さんによれば、不勉強な政治家がA級戦犯の合祀について反対するかのような発言を繰り返したからなのだという。
 
すべての政党が一致団結して戦犯の名誉を取り戻した1953年から1966年の間に、GHQ史観が政治家の中にじわじわと浸透したことを物語っているようにも思える。
 
昭和20年12月『木戸幸一日記』の中に出てくる昭和天皇のお言葉「米国より見れば犯罪者ならんも、我国にとりては功労者なり」

内大臣だった木戸幸一は、昭和20年、GHQにより戦犯容疑者として逮捕状が出ていた。

木戸氏の『木戸幸一日記』の中に、昭和20年12月6日、昭和天皇から夕飯に誘われたことが書かれている。

木戸氏は自身が戦犯容疑者指名されていることから辞退したところ昭和天皇

「米国より見れば犯罪人ならんも、我国にとりては功労者なり」

と言われたのだという(12月10日の日記)。

 

富田メモばかりクローズアップされますが、こちらの昭和天皇のお言葉はなぜ広まらないのでしょうか。

 

東条英機の遺書(昭和20年9月11日に連合国に逮捕される前に書かれたとされるもの)

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

東條英機の遺言 - Wikipedia

 

最近話題の、うめさんのツイート

 

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 ◀︎的外れなことを書いて問題をそらしている後追い記事

 10日の小堀宮司退任の報道の前に、

「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」

に対して2つの記事が後追いしている。

一つは、10月3日の週刊ポスト、発言の背景に靖国神社の台所事情があるというもの。翌4日の現代ビジネスは、「安倍政権を支える神社界が大揺れ!靖国神社神社本庁の『異常事態』」と政治と絡めた話しにしている。

 

◾️靖国神社トップに天皇批判報道 背景に厳しい“台所事情”か

靖国神社トップに天皇批判報道 背景に厳しい“台所事情”か|日刊ゲンダイDIGITAL

公開日:

 

◾️現代ビジネス

安倍政権を支える神社界が大揺れ!靖国神社と神社本庁の「異常事態」(伊藤 博敏) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

 

 

どっちも的外れで、小堀宮司が単純に思っていることにあえて触れないようにした記事になっていないでしょうか。

 

これも上坂さんの本からですが、2005年、細木数子さんがフジテレビのゴールデンタイムの人気番組で、この靖国参拝問題に触れ、

「十代の若者が、一人乗りの飛行機に片道のガソリンだけを詰めて敵陣に突っ込んで行ったんですよ。その若者たちは突撃しながら、間も無く靖国神社で両親と再会し、仲間たちと落ち合えるんだと自分に言い聞かせたことでしょう。靖国神社とは、そういうところなのです。国の代表としての首相が参拝するのは当然です。」  

このようなことを涙ながらに訴えていたのだそうだ。

スタジオの若いタレントたちは声もなく静まり返ったという。

 

A級戦犯がどうこうとか、日本は東京裁判の「ジャッジメント(判決)」をうけいれたのを、誤訳されて東京裁判そのものを受け入れたことになってしまったので、靖国問題が複雑になったとか、とにかくいろいろな理屈で反対派は参拝に否定的発言をしますが、この問題は結局は、細木数子さんが言っているような単純なことなのではないでしょうか。

 

今回、小堀さんがお辞めになったということは、天皇陛下もこの発言に寛容ではなかったようにも感じられます。

 

この一件で、逆に天皇陛下靖国参拝を願う発言すらできなくなるような気にもなり、とても残念です。