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《週刊文春》悠仁様の進路先本命は筑波大付か。<昭和50年当時>三笠宮様の語る帝王学

週刊文春悠仁様の進路先本命は筑波大付か。<昭和50年当時>三笠宮様の語る帝王学 

 

 

週刊文春 2018年9月27日号

悠仁さまお受験「本命」は筑波大附 お茶の水残留か、巻き返しを狙う学習院

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9月6日、悠仁様12歳の誕生日の翌日、朝から突然、宮家付き職員の統括である宮務主管が宮内記者会に向けて悠仁さまについてのレクをおこなったという。

8月の槍ヶ岳登山に対する懸念の声を心配された紀子さまの希望で「悠仁さまは登山の経験と積んでいた」、「天候に恵まれ体力を考慮した上での安全な登山だった」と終始弁解じみているレクだったという。

今年2月の眞子さまと小室さんの結婚延期騒動以来、秋篠宮家はかつてないほどの危機に揺れているという秋篠宮家。

7月末には過去の宮家に使えた職員約五十人を迎えての懇親会が行われ、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまが参加され、悠仁さまは

「開始30分ほど前にお一人でいらして、ピザをテーブルに『どうぞ』と言いながら配って回れていました」(宮内庁OB)

 

10月には悠仁様の進路について決めなければいけない。 

昨秋には悠仁さまが『渋谷教育学園渋谷中学』や『海城中学』など、偏差値70を超える名門の文化祭を見学されたの情報が駆け巡り、保護者の間では進学先の下見ではと、噂された。

学習院2014年から新しい院長が就任して以来、秋篠宮家に足しげく通い、悠仁さまに学習院へ来ていただきたいというアピールをしているという。

秋篠宮家ではまだ、進学先を決めてないようで、お茶の水の内部進学の可能性も残されている。

10月頃には、学校側が各家庭に『内部進学』か『外部受験』かの進路調査を行うようです。ですからもう間もなく、秋篠宮家も最終的なご希望を内々に伝えるはずです」 

 

進学先として本命視されているのは、筑波大付属中学。偏差値73、約8割がそのまま付属高校に進み、毎年30人以上の東大進学者が出るという名門校。

 

ゆくゆくは農学部のある大学

本命視されるのは筑波大付属中。

理由は一昨年、お茶の水と筑波との間に設けられた『提携校進学制度』。

「~~この制度で選ばれた生徒は、お茶の水賞から筑波中に学力テストなしの書類審査のみで進学できる。表向きは『施設・教育機能の共有』と歌っていますが、実質は進学を控える悠仁さまのための制度と見らえています」(前出・宮内庁関係者)

教育ジャーナリストの小林哲夫

「~~略~~同校OB会は早くも悠仁さま進学の噂に沸き立っていて、歓迎ムードだそうです」

宮内庁関係者は、

「~~略~~悠仁さまのご興味を考えると、ゆくゆくは農学部のある大学への進学が望ましい、と思われているのではないでしょうか」

前出、教育ジャーナリスト小林氏によれば、

「都内で農学部のある大学となると、東大か、東京農大東京農工大などの可能性が出てくる」

締めは、

一部では、紀子さま悠仁さまの「東大入学」が悲願だとも言われる。筑波進学はそのための初めの一歩となるかもしれない。

 

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悠仁さまが農学に興味を持っているからといって、完全な研究者になるわけではありません。

将来天皇陛下になる教育が必要なのですが、槍ヶ岳登山や広島の原爆資料館に行かれたること、偏差値の高い学校へ行くことは帝王学と言えるのでしょうか。

 

とは言いながら、では現代において何をすることが帝王学なのか、誰が帝王学を授ける適任者なのかと言われると考え込んでしまいます。

 

ただ、緊急に会見(レク)が開けるのなら、説明するのは違うことであるはずなのですよね。どうしてあっちはいつまでもダラダラなのでしょうね。

 

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<昭和52年サンデー毎日5月15日号> 三笠宮様が答える帝王教育

下の本は、昭和天皇に焦点を当て、憲法について、象徴の意味について、昭和40年から50年代にかけて大臣、ジャーナリスト、学者が書いた記事、対談、手記などがまとめられています。

敗戦から30年が経っているこのころでさえ、象徴天皇とは何なのか、民主主義の中での天皇はどうあるべきなのかについて、様々な議論がされていたことがわかります。

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この中から、牛島秀彦氏(作家、評論家)が、三笠宮様に「天皇における帝王学とはなにか」についてインタビューしている記事がありましたので、参考までに載せてみます。

 

三笠宮さまは、昭和天皇の弟。

神武天皇即位紀元に基づき、初代・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660211日を「日本建国の日」とする「紀元節復活」に、三笠宮様は「神話」と「史実」は切り離して研究されるべきとして、積極的に反対の論陣を張った。「赤い宮様」と渾名された。

三笠宮崇仁親王 - Wikipedia

牛島秀彦

1935127 - 1999712日)は日本のノンフィクション作家、評論家。

牛島秀彦 - Wikipedia

 

画像全部載せてみました。

帝王学について語られた部分は抜粋して、画像7の後に載せました。

赤い皇族とあだ名されていた三笠宮さまですが、お話されていることは、意見の違いがあるとしても、とても率直で正直な印象を受けます。

「あたしなんか」「ねえ」などの言葉を連発されているところは、時代を先取りしていたのかも?と思えます(^^)。

 

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帝王学について語られた箇所

 1(288~289)

 

◾️無私である寂しさ、私のもー 帝王学とは孤独ですネ

 

牛島)まず、帝王学っているのは、個性的なのか、それとも個性があってはならないのかというようなところから伺いたいと思います。日本の場合ですと、むしろ私を出してはいけないという風な、そういうことがあるような気がするんですけれども。

 

三笠宮

最近のことじゃないですか。日本で私を出しちゃいけないというのは。

 

牛島)

なるほど。無私でであるべきであるということは、最近のことですか?

 

三笠宮

無私ということと、私を出さないということとは違うと思うんですが。無私ということは、誰にでも一視同仁とか平等とかいうことですね。私を出さないっていうのは、今おっしゃった個性を出さないということじゃないでしょうか。

 

帝王学はともかく、非常に公平ということを第一に重んぜられることは確かですね。公平ということはね、えこひいきしないというかなぁ、それは確かだな。

 

あたしなんかの場合もそうなんで、それは御学問所の教育のせいということなのか、いうところの帝王学なのか、やっぱりこういう皇室という環境に育ってると結局周りの人からもそう言われるし、まぁ現実問題に直面しても、結局そうならざるを得ないということにもなりますわね。だから、あたし自身なんかも、そういう公平ということは非常に頭にこびりついていますねえ。

 

〜~略~~

 

牛島)

なるほどね。そうすると、帝王というのは孤独なわけですね。

 

三笠宮

孤独ですね。あたしなんか、つくづくそう思うな、もう。

 

牛島)

いわゆる皇族学というのは、今はともかく昔はあったわけでしょう?

 

三笠宮

戦前も皇族学っているのは、公平とか、人前に出たときに態度を立派にしろとかね。公平にしろということと、人前に出たときに態度を立派にしろと、この二つが今でも一番印象に残ってるですねえ。三つ子の魂百までですよ。

 

牛島)

要するに、喜怒哀楽の情を国民に見せちゃいけないという、そういうのもあるわけですか。例えば、戦前の御真影は絶対笑顔のものはなかったわけですね。

 

三笠宮

周りの人がそういう風に仕向けたと思うけどね。

 

牛島)

そのための特殊なしつけとか、訓練なんかは施されたわけですか?

 

三笠宮

いや、いや、それは人前に出ることが多いから自然に・・・。

 

2 (290~291)

あたしどもなんか、生まれてからご御養育掛長っていうのと、御養育掛っていうのと、御用係っている大の男がいましたもんね、まわりに。

・・・それで、やっぱり立派にキチンとしていればあとから「ご立派でした」とかなんとか褒められるから、やっぱり、ついそうなりますわねえ。それからもう一つは、何ていうか、わがままでないということだなぁ。これはかなりアレでしたねえ。大正のデモクラシー期だったからかなあ。とにかく非常に皇族がわがままだという世間に評判があったわけですよね。それだから、ずいぶんやかましくそのことは言われましたねえ。

 

牛島)戦前は、天皇は大元師陛下、殿下は陸軍将校、やっぱり、いくら実兄といっても、天皇には迂闊に近寄りがたいというようなことがあったわけですか。

 

三笠宮

それは、もちろんあるわけですね。でも、もちろん戦前だってインフォーマルな場合は、あったわけだから。結局二重人格ですよね。われわれは。一少尉という場合と、皇族という・・・だから戦前は、全くの二重人格の使い分けを(笑)したわけですよ。軍隊の中じゃ、一般士官学校生徒の時は生徒なみだし、それから上等兵の階段に始まってズッと来たわけでしょ。

 

牛島)上等兵からですか?

 

三笠宮

まず士官学校予科を卒業すると、上等兵になるわけですよね。それで軍隊に行って馬の手入れから何から一応全部修行して、それから伍長、軍曹になって士官学校本家に入るわけですよ。で、二年、そうして曹長になって、また隊へ帰って見習い士官になって、それから任官ですから。

 

牛島)

天皇昭和天皇)は、11歳のとき、いきなり少尉でしょう?

 

三笠宮

ええ、それはだから全然違うわけです。学校だって初等科だけいらしたけれども、中等科からは御学問所でしょう。陛下の場合・・・

 

~略~

 

◾️覇者でも神=ゴッドでもないー  ー西欧の君主とは違う

 

牛島)

日本の天皇というのは、戦前は一般民衆から現人神という風に言われていたわけです。つまり天照大神以来の神様で、万世一系ゆえに尊い、というようなことだった。一方、ヨーロッパの君主は、あくまで人間で天皇とか天皇制とは、異質なものがあるという印象です。時代によっても違うのでしょうが、例えばイギリスの王室と日本の天皇はどこが違って、どこが重なっているとお感じにありますか?

 

三笠宮

昭和五十一年、ロンドンに行って王室ともちょっとアレしたけれども、相当に違いますねえ。それは。あたしら驚いて帰ってきたんでネ。あまりに日本社会と英国社会が違うということですね。結局社会の基盤が地学から、どうしても上は変わってくるんでしょうねえ。国民性から何からあまりにも違う。驚きましたねえ。で、エリザベス女王がこられたときも、ロンドン・タイムズなんかで日本と英国と似てるとこなんていうのが出ましたけどねえ。例えば王様が両方ともいるとか、島国だとか、工業が発達しているとか。それは全く表向きだけですがねえ。一皮めくったら、まるっきり違うんで。第一気候が違う。緯度が違うでしょう。向こうは、大体から樺太ぐらいの緯度でしょう。緯度が違うことで生物界が違うわけですしね。だから、イギリスの真似しろと言ったって無理だと思うなあ。

 

牛島)

戦後、小泉信三氏は、その違う英国王室を、日本の皇室の理想像にした・・・。

 

三笠宮

それは、イギリスとか色々王室のあるところを参考にしながら、それじゃ日本ではどういう風にしていくかということでしょうね。なかなか難しい。

 

5(296~297)

 

牛島)

つまり、ビジョンと言いますか、天皇とは本来こうあるべきだという色々な人の考えを知りたいので、あえてお伺いしたいのですが・・・。

 

三笠宮さま)

あたしなんか歴史学的立場になれば、天皇という名前だけは続いているけれどもね、内容というものは刻々に変化しているわけですよ、時代によって。

 

牛島)

そうですね。

 

三笠宮様)

それだから、今現時点において考えたことは、例えば大統領みたいに四年で変わるものならね、できるけれども。二十年か三十年先かわからんわけですよね。例えば、あたしが皇太子様の帝王学をご進講申し上げよ、と言われても、申し上げることがないと思うんですね。

 

牛島)

こうあれかしということはできないというわけですか?

 

三笠宮様)

その、なかなか・・・もう二十年先の日本がどうなってるかわかんないですよね。

 

牛島)

非常にテンポの速い世の中出ございますから、ビジョンがないと、かえって困るということになりませんかね。

 

三笠宮

そうなると、やっぱり私の立場が近すぎるんですね。で、わからないわけよ。まあ天皇制という問題も、結局は・・・国民が決めることですしね。だから、いったい国民がどういう天皇を求めているかということが、まず前提になりますわね。

 

牛島)

それはそうですね。

 

三笠宮

むしろ、その意味のおいちゃ、われわれも受け身なんですよね。天皇の周りにいる皇族なんているのも、国民からいったい何を求められているかという問題になってくるわけなんで、なかなかこっちから天皇はどうあるべきだろうとか、皇族はどうあるべきだろうかっていう発想はできにくいわけですよ。

 

牛島)

そうでしょうね。

 

三笠宮

だから、それこそ国民に広くアンケートをとって、いかなる天皇というものを求めるかとか、いかなる皇族のあり方を求めるかということ・・・結局、国民の方から出してもらわないと、ほんと行ってこっちは受け身なんだな、ええ。実際わかんないんですよね、あんまり近すぎて。

 

牛島)

宮内庁には、ビジョンというのはあるんでしょうか。

 

三笠宮

宮内庁自身だって、わかんないんじゃないですか。むしろ常に受け身じゃないのかなあ。

 

7(300~301)

牛島)

戦後、天皇は象徴ということになって、憲法にもそう書いてあるんですが、これは非常に曖昧で。その辺はどうお感じになりますか?

 

三笠宮

あたしなんかも非常に変に思うんですけどね。象徴ということは(笑)。しかし、もう憲法になっているんだからどうにも・・・。

 

牛島)

民主主義というのは四民平等であり、私尊重ということであって、戦前、戦中、戦後を通じての美徳なる滅私奉公の逆ですね。殿下は民主主義との関連において、天皇制や皇室制度をどう考えられますか?

 

三笠宮

それは、むしろ聞きたいんだな、あたしは国民に。

 

牛島)

さっきおっしゃったように、あまり天皇に身近過ぎるから?

 

三笠宮

そうそう。

 

牛島)

それは、やはり国民の側が決めることであるということになりますか?

 

三笠宮

原則論としちゃそうだと思いますよ。それが民主主義だと思うんでね。ええ。こっちが決めたんじゃ、民主主義じゃないと思うんですよ。

 



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こちらは、コメント欄に頂いた学習院の戦前戦後の微妙な変化がわかるお話し。
 
1946年 - 2012年
 

昭和51年、今から42年程前になりますが、文藝春秋 座談会「皇族団欒」で、皇族本人がこんな風に語っていらっしゃる箇所がありますので、一部ですが、書いておきますね。

戦前と戦後10数年経った頃の皇族の学習院等での生活です。
三笠宮寛仁殿下】:伯父様(高松宮)の時代は、たぶん想像するに、伯父様でなくったって宮様方が他にゴロゴロといらしたんでしょう。結局、今は皇族というものが指折り数えるくらいしかいない。当然のことながら、学習院っていったって変わっちゃってね。僕はまるで普通の扱いを受けたんです。
初等科時代には、昔風の先生が残っていて、同級生は僕のことを宮様って呼べと強制されていたね。ところがそれが中等科に行くともう学習院バンカラになっちゃって、僕は「三笠」と呼ばれていたんだ。それが今でも「三笠」と言う時代につき合った連中が、今会っても三笠というわけよ。と同時に、ある程度ものごとがわかっちゃた連中は「殿下」って呼ぶわけでしょう。みんなが一堂に会うとすごい不思議なことになるわけね。
結局「皇族というのはどうあったんですか」とか「今後どうしたらいいですか」ということは、僕たち三笠宮家の子供たちは伯父様に伺うしか方法なくなっちゃうわけだな。それがもっとたくさん皇族がいて、もう世間の人がそういうもんだなと思ってくれていたら、伯父様のおっしゃるように、自然に育ったんじゃないかな。僕は普通の人と皇族の両面といつも知らされてきちゃっているから困っちゃうわけよ。
高松宮】:私たちの時だともう寄ってたかって救いの手がたくさんあるわけだよね。もっともみんなが盛り上げてくれるんで、救いの手も必要なかった時代じゃあるけどね。どうしたら皇族として、いい皇族になるかというように、小学校の先生も考える。学友もそういう風に考えて、そして盛り立ててくれる。例えば海軍に入っても、この皇族をうまくいい海軍士官に仕立てて、海軍の一つのリーダーシップをとってもらおうということだわね。
兵学校の場合だって、私たちは体力試験を受けて入るわけじゃない、学科試験を受けて入るわけじゃない、その頃の兵学校の人たちというのは、中学校の1,2番くらいの人たちがみんな入ってきてるわけでしょう。だからそれと互角には
やれないわけよ。体力的にも頭脳的にもね。それはもう自他共にみんな知ってるから、特別扱いをするわけよ。それが自他ともに不自然と思わないわけね。それで、将来は何とか海軍のリーダーシップをとらせるために育てているんだという気が、みんなにあるわけだから、学校の同級生にしてもそういう気持ちでつきあってくれてるわけね。
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敗戦で変わってしまった憲法のもとで、象徴天皇というものはどうあるべきなのか、国民も皇族も一生懸命考えていたのがこの時代だったのかもしれません。
不思議なのは、この時点でも憲法を自分たちの考えに合わせて変えようとする発想が、どの政治家の手記からも、ジャーナリストの記事からも出ていないことです。
このGHQ憲法のもとで生きていかなければいけないと思い込んでいるような雰囲気はなんだったのでしょうか。
 
 
話しを戻して、悠仁さまの進学です。
10月にはどこの学校を選ぶのか結論を出さなければいけないとのことです。
 
帝王学の基本が公平であり、えこひいきしないことであるなら、特別枠で筑波大附属に入ることは最もよくないことですね。
眞子さまの件もある中、本当に国民の批判が出るような選択をしないようにと切に願います。
学習院は皇族のためにできた学校、ここでいくらでも皇族の希望は叶えられるのですから、学習院農学部を作ってもらったらいいのではないでしょうか。