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2016年の陛下の「生前退位のおことば」は憲法改正議論を阻止するためだった?

2016年の陛下の「生前退位のおことば」は憲法改正議論を阻止するためだった?

 

今月の20日、自民党総裁選で安倍総理が再選されれば、いよいよ憲法改正に向けて動き出すと言われています。

しかし、こちらの記事によりますと、2016年7月13日に陛下の生前退位の意思がスクープされたのは、その前の7月11日に参議院議員選挙で自公が圧勝し、改憲勢力が衆参合わせて3分の2になったためだというのです。

意図したことは、陛下の生前退位が動き出せば、国会は皇室典範改正が優先になり、憲法改正の流れが止まる。

そのための生前退位のスクープだったというのですが、そこまでして両陛下は憲法改正を阻止したいのかとびっくりします。

http://news.livedoor.com/article/detail/11784053/

 

 

こちらのリテラの記事では、安倍政権が憲法改正に動くたびに、両陛下は護憲発言でそれらを阻止していることが記事になっています。⇩

 「象徴天皇」のあり方を模索し、反戦平和主義と護憲の姿勢を示し続けた天皇|LITERA/リテラ

この記事に少し足して、時系列順に何が起こっているのかを書いてみたいと思います。

 

天皇皇后と安倍改憲派の攻防 

2012年12月26日

憲法改正を公約に、第2次安倍内閣発足(政権交代

 

2013年10月、美智子皇后の誕生日の文書

明治憲法の発布に先立ち、五日市憲法など、各地に私擬憲法ができたことを引き合いにだして、

日本国憲法と同様の理念をもった憲法観が日本の「市井の人々」によってもつくられていたことを強調し、基本的人権の尊重や法の下の平等言論の自由、信教の自由などが、けっして右派の言うような「現憲法は米国の押しつけ」などではないことを示唆したのだ。

 

2013年12月、天皇陛下の80歳の誕生日

(陛下のお言葉)「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

 日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と最大限に評価する明確な護憲発言だった。しかも、今上天皇はわざわざ「知日派の米国人の協力」に言及した。明らかに、安倍首相ら改憲右派ががなりたてる押し付け憲法への反論の色彩を帯びていた

 

2014年

安倍総理のブレーンの一人、八木秀次麗沢大学教授が

「正論」(産経新聞社)5月号に「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」

という文書を載せる。

〈両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか>

 

2014年8月

安倍首相、A級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送る。

連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛した。

 

2014年10月、美智子皇后の誕生日

「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」

 

2ヶ月前の8月、安倍首相は元日本軍人を「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛している。そうしたタイミングで皇后は、A級戦犯に踏み込む異例のコメントを出したことになる。

 

 2015年8月15日 天皇陛下戦没者追悼記念式典にて、初めて「深い反省」

終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

 

今上天皇が、戦没者追悼式典で戦争に対する「深い反省」を使ったのはこの年が初めてのことだった。そのため、憲法の平和主義を解釈改憲によって骨抜きにした安保法制関連法案に対する天皇からの「反論」ではないかとも取り沙汰された。以降、天皇は同式典で「深い反省」の言葉を用い続けている。

 

2016年7月11日

参議院議員選挙の投票結果で自公で改選議席過半数占める

衆院はすでに与党だけで3分の2を超えており、衆参両院で憲法改正案の発議が可能な改憲勢力が形成された。

 

 

2016年7月13日

NHK橋口記者が「天皇陛下生前退位』の意向示される」と報じた。

 

2016年8月8日

天皇陛下自らテレビにて生前退位の意向を述べる。

 

この生前退位のおことばのタイミングについて

http://news.livedoor.com/article/detail/11784053/

じつは今回の生前退位報道には、ある思惑が存在しているという。皇室に詳しいジャーナリストが打ち明ける。

「NHKが皇室関係の報道をする場合、どんな情報であっても、宮内庁職員から必ず裏を取っている。でなければ、報道しない。今回、その裏を取らせ、OKを出したのは、山本次長とは別の、陛下に近い宮内庁幹部といわれている。彼には憲法改正の流れを止めたいという意図があったのです」

民放の政治部幹部が続ける。

「いわゆる改憲勢力参院選で大勝し、衆院ともども憲法改正の発議ができる3分の2の議席を確保しました。憲法改正が現実味を帯びるなか、政治的な発言ができない陛下が安倍内閣に『沈黙の苦言』を呈したということです。

正式に天皇陛下のご意思が示されれば、国会は皇室典範の改正を優先させなければならない。憲法改正論議など吹っ飛びます。この生前退位が明るみになり、官邸には衝撃が走っています」

   

お身体を理由に退位のご意向を示されたはずだったのに、国内公務、海外公務もとにお出かけ公務が多く精力的です。こんなにお元気なのになぜ退位?と不思議でしたが、目的は退位ではなく改憲阻止だったというわけです。

 

それにしても、「改憲を公約」にして選挙を戦い、「改憲に期待」して一票を投じている国民に対して、天皇のこの行為は明らかに民意を無視した憲法違反なのではないでしょうか。

 

天皇皇后陛下と同じく「改憲は戦争への道だと思っているリテラ編集部」は、このように締めくくっています。

実際、安倍政権と一部の保守勢力は長らく、現在の皇太子と雅子妃を今上天皇・皇后とは逆の方向に導くため、水面下で策動しているという見方も根強い。これについてはまた稿を改めるが、いずれにせよ、皇太子徳仁親王明仁天皇のような在り方を漠然と期待するだけでは意味がないだろう。「平成の終わり」は、平和を望むわたしたちひとりひとりが、日本を戦争へと向かわせる改憲に、あらためて対峙すべき時代となるのだ。

 

次の皇太子も天皇皇后と同じように、ちゃんと憲法改正を阻止しろよと言っているような記事です。

やはり、憲法改正には天皇皇后の意向が少なからず関係してくるのでしょうか。

 

日本はなぜ70年もこの占領下で作られた憲法改憲ができなかったのかと、櫻井よしこさんも、百田尚樹さんも、青山繁晴さんも、みんなが言っていますが、それが結局天皇に原因があったのだとしたら、笑えません。

憲法改正のお願いメールは今後は宮内庁に出しましょう。

 

 ところで、平和憲法平和憲法天皇皇后がいう日本国憲法ですが、日本の占領期にどのようなことが行われている中で、出来上がった憲法だったのでしょうか。

 

GHQがやっていたこと 

1.検閲

 

占領軍の暴行を目撃したという手紙を書いた人が逮捕されているんです。

検閲要項に抵触するものは片っ端から翻訳、危険人物と思われる者はブラック・リストに載せ、あるいは逮捕し、場合によっては手紙そのものが没収となった。
 憲法第二十一条を読むたびに私は苦笑を禁じ得ない。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

 何というしらじらしい言葉であろう。言論および思想の自由を謳ったポツダム宣言にも違反し、GHQ自身の手に成る憲法にも抵触するような検閲が、憲法公布後もなお数年間にわたって実施されていたのである。民間検閲局こそがこの違法行為の実行者であった

アメリカは日本占領後、徹底的に個人の郵便を開封して、書いてあることを調査した

 

 2.焚書(戦前、戦中の本の没収)

昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの間に約22万タイトルの刊行物が公刊されていましたが、その中から9288点の単行本を選び出して、審査にかけ、うち7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定したというもの。

 7769点の総リストを作ったのは占領軍。リストに基づいて実際日本の没収を全国的に行ったのは日本政府。

東大文学部の関与(協力)があった。焚書には、国の歴史の連続性を遮断し、

そこにアメリカ産の歴史の見方、すなわち満州事変より後に日本は悪魔の国になり、侵略国になったため、本当は戦争をしたくない平和の氏とアメリが嫌々ながらついに起ち上がって悪魔を打ち負かしたというばかばかしい「お伽話」を日本国民の頭に覚えこませるのにはどうしても必要な手続きだった。

GHQ焚書図書開封西尾幹二氏より

 

3.公職追放

GHQに都合の悪いことを言った人、日本を擁護する人を追放した。

 

特にGHQが力を入れたのは教育者。

アメリカにとっての不適格な教員の排除に乗り出し、『教職員適格審査の制度化』で

全国130万の小中学校教員、大学教授等を対象に審査し、日本の戦争を肯定する者、積極的に戦争に加担した者、戦後の自由と民主主義を受け入れない者に、除籍を求めた。

 

4.言論統制

GHQプレスコード、新聞、テレビ、ラジオ、などの書物に書いてはいけないことをまとめて配布。

 

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◾️原爆の残虐さを非難した鳩山一郎の談話を掲載したため朝日新聞が四十八時間の発行停止を食らった。

◾️進駐軍兵士の暴行を非難した石橋湛山東洋経済新報が一部残らず押収の憂き目を見た(昭和二十年九月二十九日)

 

 5.東京裁判
1945年8月15日
英仏米ソの4カ国が、国際軍事裁判所条例に調印する。
平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の3つの罪が規定された。
1945年9月11日
GHQが39名の戦争犯罪人の逮捕を実行する
1946年1月19日
マッカーサーが国際軍事裁判所条例をもとに、極東国際軍事裁判所条例を制定する。
1946年2月15日
マッカーサー東京裁判における9名の判事を選出する。
裁判長は豪州のウェップが努める事となった。
1946年5月3日
東京裁判がはじまる。A級戦犯28名が起訴された。
1948年1月8日
マッカーサー昭和天皇を不起訴にする事を決める。
1948年3月2日
この日から4月15日まで最終弁論が行われる。
1948年11月4日
この日から判決が言い渡される。
1948年11月11日
A級戦犯の25人の被告に有事判決が下る。
1948年12月23日(今上陛下の誕生日)
東条英機広田弘毅元首相ら7人の絞首刑が実行される。
 
こういう時代背景の中で、日本国憲法はできました。
それを作った民生員の人たちのインタビューを見てください。
日本の憲法作りのために秘密裏に集められた民生委員の方たちのインタビュー


「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(1993.2.5 放送)

11:30~

ベアテ・シロタさん、当時25歳のタイピスト憲法を作るように言われて

すぐそばにある図書館に行って、いろんな国の憲法を集めた。これは秘密だから、ひとつの図書館でいろんな国の憲法を集めると変だと思われるので、ここで少し集めて、またここで少し集めたら良いと思って。

事務所に戻って、それを置いておいたら、貸して、貸してと、私はポピュラーになりました。

 

日本のこともよく知らない、憲法のこともよく知らない外国人がわずかな間に書いた憲法だということがよくわかりますね。

 

 

下のジョー・バイデンの演説を聞いてください。これがアメリカ人の本音であり、日本の憲法に込められたものだったのではないでしょうか。

アメリカは、国際法で禁止されている無抵抗の一般市民に、空襲、原爆投下で無差別殺戮をしています。そのことで日本人からの復讐を恐れていたのです。

そこで、日本人の精神の改造、武装解除を企て、復讐心をなくしてしまおうと考えたのが憲法改正であり占領政策だったのではないでしょうか。

 

日本が核武装しないように我々アメリカが日本の憲法を書いた
BYジョー・バイデンアメリカ副大統領(当時)


ジョー・バイデン米国副大統領「我々が日本の憲法を書いた」

アメリカ人に日本が核兵器を持たないように書かれたのが日本の憲法だと言われています。

日本人の憲法は日本人の手で作り直しましょう。でなければ情けないではないですか。

 

 

 

こちらは自民党憲法草案です。

【自民党憲法改正草案】見やすい対照表で現憲法との違いが分かる! 憲法改正草案 第6条 (天皇の国事行為等)

 天皇は元首になります。