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【天皇陛下】平成最後のお言葉ー天皇の歴史認識

天皇陛下】平成最後のお言葉ー天皇歴史認識

 

8月12日のサンデーモーニングで、間も無く行われる戦没者追悼式で、平成最後となる今上陛下のお言葉はどのようなものになるのかという話していました。

サンデーモーニングの期待とは違うでしょうが、私もこの最後の式典のことばが気になります。

「反省」ということばがまた陛下の口から発せられるのでしょうか。

 

サンデー毎日保阪正康氏が「天皇陛下『最期のおことば』に込める『想い』」と題して、過去の陛下のおことばを紹介しながら、その細かい変化と陛下の想いについて解説しています。

 

サンデー毎日  2018年8月19・26日号 

ノンフィクション作家・評論家、保阪正康氏の記事
天皇陛下「最期のおことば」に込める「想い」

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最初は昭和天皇のおことばから 

最初は、終戦記念日戦没者追悼式が初めて行われた昭和38(1963)年の昭和天皇のことばから。

初めて行われた追悼式で、昭和天皇は以下のようなおことばを述べられたそうです。

「さきの大戦において戦陣に散り、戦火に倒れた数多くの人々をいたみ、またその遺族を思い、つねに胸のいたむのをおぼえる。、終戦以来、全国民とともにわが国の復興発展と世界の平和を祈念してここに十有八年、本日親しくこの式典にのぞみ、万感胸に迫り、ここに深く追悼の意を表する」

昭和天皇のおことばは、この始まりの年から最後となる1989年まで、ほとんど同じ内容で終始したといいます。

最後となった1988年の昭和天皇のおことばはこちら⇩。

 

<昭和63年 1988年 8月15日> 昭和天皇の最後の終戦記念日でのお言葉

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「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に際し、ここに、全国戦没者追悼式に臨み、戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々やその遺族を思い、今もなお胸が痛みます。ここに、全国民と共に、我が国の一層の発展と世界の平和を祈り、心からの追悼の意を表します」

 

今上陛下のお言葉とその変化 

<平成元年 1989年 8月15日> 今上陛下の最初の終戦記念日でのお言葉 

昭和天皇崩御された年の8月、今上陛下が初めて終戦記念日の追悼式でお言葉を述べられました。

「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に際し、ここに、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。顧みれば、終戦以来既に44年、国民の弛み無い努力によって築き上げられた今日の平和と繁栄の中にあって、苦難にみちた往時をしのぶとき、感慨はまことに尽きるところを知りません。ここに、全国民と共に、我が国の一層の発展と世界の平和を祈り、戦陣に散り、戦禍にたおれた人々に対し、心からの追悼にを表します」

昭和天皇戦没者追悼式でのおことばと、平成最初の今上陛下のお言葉はほぼ同じ。

違うところは昭和天皇が、「誠に胸が痛みます」とおっしゃっていた箇所が今上陛下では「感慨は誠に尽きるところを知りません」になった箇所。

このおことばを変えたことについて保阪氏は

太平洋戦争は昭和天皇の時代のことであり、今上天皇にあっては直接関わりを持たないという立場上の違い

であり、昭和天皇のお気持ちは共有していると言っています。 

 

今上陛下のお気持ちを読み解くうえでの「おことば」

平成元年1月9日、即位後「朝見の儀

2:48〜あたりから

「ここに、皇位を継承するにあたり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民と共に亜ることを祈願された御心を心としつつ、みなさんともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、(以下略)」

 

保阪氏は上のこの「を守り、これ」6文字を加えたことの意味、「日本国憲法に従い」ではなく「を守り、これ」にした意味を以下のように解説している。

今上天皇は「政体」の下に「国体」を置くことになったともいえるように思う。

これは明治、大正、昭和のそれぞれの天皇とは全く異なっている。国体の下に政体を置いていたからである。

今上天皇は、戦争というこの国の体験を二度と繰り返さない政治体制、それを保証している日本国憲法を守り、「私(天皇)はその下にいると言ったようにも思える。国民に向けて初のメッセージで、このことを明らかにしていたと考えれば、戦没者追悼式のおことばは、その延長にあることは容易に想像できる。

 

平成7(1995)年、戦後50年に当たる年のお言葉の変化

この年、戦後50周年記念式典に際し、時の内閣総理大臣村山富市氏が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する、いわゆる「村山談話」を発表しました。

村山談話は、かつての日中戦争・太平洋戦争が侵略であることを認めて反省するという内容でした。

(そのせいか、)

この戦後50年の陛下のお言葉は、これまでといくつかの違いを持っています。

終戦以来すでに50年、国民のたゆみない努力によって、今日の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を思い、感慨はまことに尽きるところを知りません。ここに歴史を顧み、戦争の災禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から哀悼の意を表し、世界の平和と我が国の発展を祈ります」

 

初めて用いられたのは、前段にある「深い悲しみを新たにいたします」という表現と、「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、」ということばの追加。

保阪氏は、

歴史を顧みといい、そして戦争の惨禍が繰り返されぬことを祈念するとの強い意志が読み取れる。

天皇のお言葉は村山談話ほど踏み込んでいないが、初めて用いられた「歴史を顧み」という表現はこれまでとは違って、

単に過去という表現より歴史という分野での認知された史実といった意味を伴っている。

天皇は何か強い歴史上の想いを訴えたかったのかもしれない。

この戦後50年のお言葉はその後も続けて用いられた。

 

平成8(1996)年 変化は1箇所。

「追悼の意を表し」という表現だったところが、「戦禍に倒れた人々を心から追悼し」になり、追悼の意味を強めている。

 

平成17(2005)年  戦後60年のお言葉の変化はなし、戦後50年とほぼ同じ

この年は戦後60年の節目の年にあたり、当時の総理大臣であった小泉純一郎総理が談話を出している。

 

小泉内閣総理大臣談話 平成17年8月15日

〜略〜

また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

〜略〜

https://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html

小泉談話も、村山談話と同様に日本の侵略を認める形になっている。

 陛下のお言葉はほぼ変わらず。

 

平成27(2015)年 先の大戦に対する深い反省・・と「反省」ということばが初めて入る

それまでは

「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り」

 とある部分が次のようになった。

「ここに過去を顧み先の大戦に対する深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り」

 「過去を顧み、先の大戦に対する深い反省」の挿入。

これ程明確に戦争について「反省」といった語が用いられたのは初めてのこと。

ちなみに全文は、

戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。

ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

主な式典におけるおことば(平成27年):天皇陛下のおことば - 宮内庁

 

保阪氏は、この変化について、このように述べている。

私はこの語を聞いたときに、天皇自身が戦争体験の風化を恐れてあえて強いことばを用いたとも思ったし、次の世代に、安易に歴史観を身につけるべきではなく史実の検証に力を入れるべきだ、と伝えたのだとも思った。

 

 同時に、この年の政治状況は全体に日本社会が右傾化しているような空気があり、それを天皇のこのお言葉が案じているといった解説をする論者もいなかったわけではなかった。

 

しかしこれはおかしい理解で、天皇はそのような政治状況とは一線を画していたのであった。

 この反省が入ったおことばは、この時(平成27年)より平成29年まで続いている。

「深い反省」は、国民世論の中には踏み込み過ぎであるとの声があったことも書かれているが、保阪氏は、今上陛下は、昭和天皇のお言葉を継承しつつ、時間をかけて、ご自身のお気持ちを盛り込んでこられたとして、以下のように結んでいる。

戦争に対する「天皇」という立場がどれほど苦難の道だったか、改めて私たちは知ることができる。追悼式での最後のおことばは、天皇の歴史上での貴重

な証言になるのではないだろうか。私たちはその重さを受け止めるべきであろう。

後半もあるようだが、今週はここでおしまい。

 

追悼式での最後のおことばは、天皇の歴史上での貴重な証言になるのではないだろうか

そうであるから、この最後に、陛下がどのようなことを言われるのかがとても気になる。

戦後の占領下において、GHQは日本をどう統治し、日本はどのように作り変えられたのか、近年になってやっと具体的にわかってきたこともある。

そういう中で、陛下が日本人に反省を求めるようなことばを残してしまうと取り返しがつかない。

それが、新たに出てくる歴史の真実に蓋をしてしまわないとも限らない。

外交的にも利用される。

 

村山談話従軍慰安婦も全部、平成 

アングル:新たな皇室の時代築いた天皇陛下、戦争と向き合った在位(ロイター) - Yahoo!ニュース

1990年5月、韓国政府は1910─1945年の日韓併合について、新天皇による謝罪を求めた。

与党は皇室が謝罪をすることに反対し、当時の海部俊樹首相が代わりに韓国の盧泰愚大統領に謝罪することを申し出た。

しかし、天皇陛下は、こうした際に沈黙を守った昭和天皇とは違う道を選んだ。渡辺允元侍従長は、ロイターに対し「天皇陛下は、日本が韓国の人々に苦しみを与えたということをはっきりさせたかった」と話す。

盧大統領を迎えた晩餐会で、天皇陛下はこう言った。「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」。

天皇陛下の即位から、しばらくの間は、日本の戦争責任をめぐる議論が盛んで、1995年の村山富市首相(当時)による謝罪(村山談話)を含め、日本政府の謝罪がたびたび行われた。

こうした謝罪や、学校で子どもたちに日本が戦時中に行ったことについて教えようとする試みは、「自虐的」な歴史を教えることで日本人のプライドやアイデンティティーを損なわせるとして、保守派からの大々的な反撃を引き起こした。

1992年、天皇陛下は近代の皇室として初めて中国を訪問した。国内の右派勢力は訪中に反発、中国の活動家は天皇陛下に謝罪を要求した。

天皇陛下は、中国で「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し、多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と述べた。

その翌年から、天皇陛下は戦争の舞台となった地への訪問を始める。最初の訪問地は戦争で多大な犠牲を払った沖縄だった。1995年からは長崎、広島などへの「慰霊の旅」を続けた。

 

象徴天皇は政治に影響を与える存在であってはいけないのだが、天皇皇后両陛下の歴史認識は政治の場でも日本の外交を主導しているのではないだろうか。

 

安部首相が気にした「戦後70年天皇談話」に関し浮上した説│NEWSポストセブン

安倍総理は、戦後70年の節目の年に戦後日本の歴史認識を転換すべく” 安倍談話を出すと言われていた。

それが結局「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」などの文言の盛り込まれた村山弾を踏襲するような談話になってしまった。

このことについて、官邸関係者は、このように話している。

「方針転換の一因には、最近の両陛下のご動向を安倍首相がしきりに気にしていたことがあります。両陛下が慰霊の旅や平和への祈りを精力的に続けられてきたことを安倍首相はもちろん知っていますし、陛下に負けないほど強い思いを美智子さまがお持ちになっていることも理解しています。両陛下の平和への強い思いに首相の心が動かされたのかもしれません」

 

そして、安倍談話を巡っては、こんな話も浮上していた。

「追悼式典のおことばとは別に、陛下が戦後70年に際しての“天皇談話”を発表されるという噂が、官邸周辺でまことしやかに流れました。その内容は、戦争の反省と平和を強く訴えるものだと囁かれました。安倍首相はその内容を非常に気にしていました。自身の談話が村山・小泉両談話とは一線を画し、戦争の反省一辺倒から離れた談話を出したいと考えていただけに、もしその天皇談話が発表された場合、自身の談話の内容と乖離しているのには問題があると考えてもおかしくなかったんです」(官邸関係者)

 控えめながら、天皇皇后から安倍総理への牽制があったということのようにも受け取れなくもない。

実際、あれだけ戦後レジュームから脱却すると言っていた安倍さんにしては出さないほうがマシな談話だった。

この年は新年にも陛下が踏み込んだおことばを出している。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

満州事変に始まるーという言葉も初めて使われた。

 

韓国に行けなかったことが心残りの両陛下

週刊新潮 2017年12月4日号

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女性セブン 2018年1月1日号 

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ここまで、週刊誌に書かれていて、訂正も入っていない、この両陛下の「心の残り」である韓国行き。次代の新天皇皇后が受け継ぐということにはならないだろうか。

改めて象徴天皇は政治に影響を与えてないよう、天皇のことばを表に出す前に、きちんとすり合わせるシステムが欲しい。

毎回昭和天皇と全く同じおことばにするとか。

陛下がどんな談話を出すかで、選挙で選ばれた政府が民意を表せないとしたら、それはすごく問題ではないか。