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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

皇室はどうしてここまで落ちぶれたのか(1)

皇室はどうしてここまで落ちぶれたのか(1)

 

醜聞が次々出る小室さんの記事を読むたびに、何故こんな人と眞子さまが5年も付き合っていたのか、庶民だって、何かがおかしいと思うお金の流れや職歴に何故疑問も持たれず、交際を許してきたのだろうと何度も考えてしまう。

そんなとき、「サンデー毎日71日号の「勁(つよ)き声~美智子さまとその時代」と題する工藤美代子氏の連載(第3回後編)に、また宮内庁美智子さま)から訂正が入っていたこと知りました。

 訂正が入ったということで、どこが美智子さまのカンに触ったのか、俄然興味が湧いて、改めて読んでみることにしました。

 

 

 シリーズは3月18日号から不定期に掲載され、第1回目には表紙にも載り、力が入ってます。

3月18日号から始まった『サンデー毎日「勁(つよ)き声~美智子さまとその時代」』

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第一弾紙面はこんな感じ。

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これが出た頃は、ちょうど眞子さまと小室さんの「婚約延期」の発表がされたころ。

破談ではない「延期決定」には、皇后も交えて何度も話し合った末だったとも書かれていましたから、皇室がゴタゴタしている時に、皇后の賛美記事なんて読む気になれず、そのまま保管ファイルへ入れたままにしていました。

書き手は、工藤美代子さん。

工藤美代子さんは「関東大震災朝鮮人虐殺」の真実」という、ふれると騒がれそうな題材に果敢に挑んでいるノンフィクション作家さんです。

連載の趣旨は、美智子皇后と関わりのあった女性たちの証言採集

連載、第1回目のには、

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〜略〜

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上のような美智子さまへの過剰な賛美もありますが、このシリーズで何を伝えたいのかということが以下のように書かれています。

 

▪️ 皇后と接点のあった人からの証言の採集ー

 やがて、過去となる平成の時代を、人々はどのように回顧するのだろうか。その際、常に国民に寄り添おうとしてきた天皇、皇后の姿は、人々の脳裏にどのように残るのだろうか。皇后は、さまざまな意味で皇室の歴史を塗り替えた方でもあり、同時代の女性たちに強い影響を与えた方でもある。その皇后となんらかの接点があった女性たちが抱いている率直な感慨とは何か。それを知ることが歴代の皇后とは明らかに違う美智子さまの実像が浮かび上がるのかもしれない。そんな思いで女性たちの証言を採集してみた。

つまり、この記事の特集は美智子さまと接点を持ったことのある人の記憶や思い出の証言集であるわけです。

記憶や思い出ですから主観的なものと先に読者に断わりを入れているのです。

 

シリーズ3回目「伝統とその狭間で」の、前半部分(6月24日号)

牧野澄子さんの人となりと当時の華族の繋がり

訂正の入った、サンデー毎日71日号「伝統と自分らしさの狭間で」の後半に触れる前に、今回は、前半部分を見ていきたいと思います。

 サンデー毎日6月24日号 第3回前半(こちらには宮内庁美智子さま)からの訂正は入っていません)

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お話の中心になるのが、後ろからこちらを見ている牧野女官長(故人)。

美智子さまが皇太子妃になりたての頃から10年間東宮女官長として勤めた方です。

美智子さまをいじめたと週刊誌に書かれて続けてきた女官でもあります。

 

今回工藤美代子さんは「誰に」取材をしているかというと、

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上の図のピンクの方、香子さん(仮名)です。

この方のお母様である美嘉さん(黄色の方)が牧野純子さんと一緒に習い事をしたり、週に何回も行き来をするほど仲のいい間柄だったため、娘の香子さんも純子さんを良く知っている、純子さんから直接心情を聞いた数少ない一人というわけです。

工藤さんはまた、「当時の女官長とはどういう仕事だったのかも合わせて知りたい」と取材を申し込んだとも書かれています。

 

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紙面に唐突に出てくる寛仁親王の写真は、工藤さんが湘南地方の老人ホームにいる香子さんを訪ねる途中、寛仁親王の以下の言葉、

「学校はね、学習院でなきゃいけないんだよ。いい学校なんじゃなくて、学校は学習院なの」

を思い出したことから。

工藤さんは念のために書き添えると、とし、寛仁親王美智子さまのことを心から尊敬していたし、美智子さま学習院出身でないということが話題になった記憶もないと書いている。

だが、学習院にはその独自の世界が歴然としてあると教えてくれたのは、寛仁殿下であり、これから述べる香子さんの証言だった。

香子さんもまた、美智子さまに対して否定的なものは微塵も持っていない人だと、ここでも念押しされている。

(この学習院でなければいけないという寛仁親王の言葉は、昨今の眞子さまのお相手を考えるととても深い意味があるように思えますね)

 

<牧野純子さん家系図

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サンデー毎日家系図に写真を載せました。

純子さん佐賀藩鍋島直明(なおあきら)(華族で陸軍軍人、政治家。陸軍少将、正三位、勲二等、功四級、男爵。貴族院議員 ウィキから)の長女

純子さんは、牧野伸顕氏に是非にと期待されて、伸顕の息子(伸通)の嫁になった。

4 伸通氏宮内庁の内部部局である 式部職で式部官を務めていた。

2 牧野伸顕(大久保の息子でありながら名字が違うのは、一度牧野家に養子入ったため。戊辰戦争で養父が亡くなった後、牧野の姓を残したまま大久保家で育つ。)

2 牧野伸顕は、明治40年に男爵、大正9年には子爵。農商務大臣、枢密顧問官、外務大臣宮内大臣などの要職を歴任した。文面にはありませんが、昭和天皇の側近的役割、内大臣に就任し、1935年まで在任していたとも書かれています。

牧野伸顕氏の妻の峯子は、三島通庸の次女三島通庸警視総監として名を馳せ、明治20年には子爵を授けられている。

つまり全員華族であり、皇族や宮中に詳しいおうちの方々ばかり。

 

香子さんの純子さんが有能でいかに舅の信頼を勝ちえていたかについての話しが続く。

純子さんの夫、伸通氏は戦争中に亡くなり、舅の伸顕氏は89歳で長寿を全うする。

舅の最後を看取ったのも純子さんだった。

純子さんには1男3女がいる。

ではなぜ、戦後になって東宮女官長の職についたのか、香子さんのお話しでは、

「〜〜ずいぶんお断りになったと思う。だけれども『どうしても』ということでなられた」

「宮中のことも、要するに牧野伸顕について(皇居)に行っていたから、よくわかるでしょ。しかも華族の家だから何でもわかる方でしょ。だから、その、いいと思われたんです。だけど、それが仇になりましたね」

 

週刊新潮に書かれている牧野澄子さんが東宮女官長に決まった経緯

純子さんが女官長になった経緯について、2006年週刊新潮3月2日号の記事には、

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http://livedoor.blogimg.jp/royalfamily_picture/imgs/0/2/02aefe33.jpg

妻を守る夫 : 皇室の写真

 

松平信子氏のウィキペディアには、美智子さまの結婚に反対した人について“香淳皇后や雍仁親王妃勢津子、宣仁親王妃喜久子、梨本伊都子、柳原白蓮ら”と書かれている。

このような人たちに懇望されて、純子さんは女官長につくことになったのでしょう。

 

松平信子 - Wikipedia

皇太子と平民である正田美智子との結婚に際し、香淳皇后雍仁親王妃勢津子宣仁親王妃喜久子梨本伊都子柳原白蓮らと共に激しく反対。成婚後も美智子妃に対する猛烈な批判を続け、反対派の領袖として君臨した。

 

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女官長のお仕事について

サンデー毎日の記事に戻る。

香子さんの話しは、女官のお支度について。

女官長になると着物がたくさんいる、それらは全部自前、女官長といえどもティアラは必需品であったという。

宮中のことについては相当な理解があったとはいえ、質素な生活をしていた純子にとっては、このような皇室のしきたりが負担にならないはずはない。

と書かれている。

香淳皇后さま(昭和天皇の后)がご結婚なさった時も、ご実家の久邇宮家だって、そんなにお金(ティアラを作るお金)はなかったでしょうけどお造りになった。もう家の一軒や二軒は吹っ飛んでしまいますね。美智子妃殿下の時から宮内庁のものとして貸すという形になったんです」 

 純子さんも女官長に入る時には、自前で小さいながらもプラチナ台にダイヤを施したティアラを用意したという。

最近はそんなこと言ったら女官になってくれる人もいないので、誰もそんな要求はしない。

 

ティアラのつけ方を直された皇后が、皇太子にいいつけ注意させる

お話は、香子さんが高松宮妃紀久子さまの妹から直接聞いたティアラにまつわる強烈な思い出話しにつづく。 

 「美智子妃殿下が初めて夜会いらっしゃる時に、どこの美容師がお着けになったのか知りませんけど、ちょっとティアラが宝塚(歌劇団)みたいな感じに寝かせていたので、高松宮の紀久子妃殿下が『お直ししましょうか』とおっしゃったんですって。でも美智子さまはお断りになったそうです。私たちは学習院で、妃殿下がどういうお洋服を着て卒業式にいらっしゃるかとか、子供の時から見ているわけです。その中でも高松宮さまの妃殿下はご実家も徳川家でご身分も高かったから、お派手な方だけど一番いろいろご存知だったのね。だから、その方を怒らせちゃったら、あとが厄介じゃありませんか」

 香子さんによると、まだ良子皇后や秩父、高松、三笠の各宮家の妃殿下がいらっしゃるので、(美智子さまが)おかしいと思うことも、お顔を立てて譲ってあげればどうだっただろうかという気持ちがあったという。

「それでね、ティアラのことがあった後で、皇太子さまから紀久子さまにお電話がかかってきて、『美智子に何かおっしゃたんですか』って、『何かおっしゃることがあったらぼくに言ってください』って

これには紀久子さまも気分を害し、

「これからお教えしようと思っていたのに、そういうことなら一切もうお教えしません」と憤慨した。

「ですからね、そこから始まったんですよ、問題が、ティアラで」と香子さんはため息をついた。

 

香子さんは、皇后になられてからの美智子さまは本当にご立派で、頭が下がると仰りながらも、

ただ、純子おばさまが美智子さまをいじめたと非難されるだけなのもかわいそうな気がするんです」

 工藤さんは「知られざる女官長の苦労」「美智子さまが直面した様々な困難の日々」の両方を香子さんの話から読み取ろうとしているようだ。

この話には美智子さまからの訂正は入っていない。

美智子さまとしては、私流でやって何が悪いという気持ちがあったのでしょうか。

 

これで前半は終わり。

 

今になって、この記事を読むと、「古いしきたりの中で苦労されてきた美智子さま」というよりも、今の安っぽくなってしまった皇室は、どこから始まったのかという視点で読んでしまう。

このころ、東宮女官長の選定には、常盤会の理事であり、秩父宮妃の母親、松平信子東宮職参与が選定にあたったとあります。

 

民間企業から皇族のお世話係りを採用している現在の皇室

そう考えると、今のこの有様はなんなのでしょうか。

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秋篠宮家の職員を採用するのに、外務省、民間企業からの採用、しかも大手航空会社の女性職員から採用となっているのです。

後半部分には、祭祀で所作を間違えた職員を厳しい目で睨みつけた秋篠宮さまのことが書かれていますが、そもそも所作を間違えるような素人さんが祭祀に関わっているということであり、あまりにお粗末すぎる。

 

 調べてみると、常盤会も霞会館もきちんと存在しています。

 

常磐

常磐会 - Wikipedia

美智子妃の時もそうであったが、皇族妃女官選びは宮内庁がすべて常磐会に相談し、常磐会ではほとんどといっていいくらい、会員のなかから選んでいるとされている。また、1959年(昭和34年)に正田美智子が皇太子明仁親王に嫁ぐとき、常磐会の総裁だった香淳皇后と会長の松平信子東宮御教育参与らが、不快感を露骨に表していたと『入江相政日記第三巻(朝日新聞社刊)には記されている

 

霞会館

霞会館 - Wikipedia

華族の親睦団体。前身は華族会館(かぞくかいかん)。1947年昭和22年)の華族制度の廃止により、霞会館(かすみかいかん)と名称を改めた。 

華族制度の廃止時、昭和天皇から「先祖の名を辱めぬよう日本再建のため努力することを望む」と伝えられたことから、霞会館に改称して存続を決めた。天皇皇后両陛下が毎年1月に訪れ、懇談するのが慣例である。日本の伝統に詳しい会員が多いことから、今上天皇の即位時には、出席者の装束着付けを霞会館会員がボランティアで手伝った。

会員のうち、旧公家だけで構成する「堂上会」(約100人)もある。堂上会会員は皇室行事に招かれるほか、京都在住の会員は両陛下の京都訪問時には大宮御所で懇談する[

 

小室さんに職場の斡旋すべく『霞会館』に紹介されていた皇后

美智子さんも今でも『霞会館』とお付き合いがあるようで、

美智子皇后は当初から結婚を不安視。
夫婦がどうやって生活されるのか心配されていた。
小室さんに職場の斡旋すべく旧華族の組織『霞会館』関係者に紹介までされていた。

週刊現代2018年3月3日号 

 と書かれている。

それにしてもティアラのつけ方一つにも宮中のしきたりがあるという厳しい華族社会の方に、あんな男性の職を斡旋してくれと頼まれた霞会館の人はさぞ驚いたのではないでしょうか。

そんなことが頼めるのなら、なぜ秋篠宮家の職員に宮中祭祀にも詳しく、宮中の伝統、しきたりにも詳しい方を紹介するようにお願いできないのでしょうか。

 

 職員採用 - 宮内庁

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今も相変わらず募集中ですが、本当にどういう人が入ってくるのか。

 

5ちゃんには、

72可愛い奥様2018/07/08(日) 01:18:53.24
あの平成一家には誰も触りたがらない。 
浜尾さんも今上美智子の教育方針に疑義を挟んでいたからクビだし。 
その前に美智子の教育係の牧野女官長は、 
指導を苛めだと逐一今上に告げ口されてその度にお叱りを受けて 
阿保らしくなって辞めちゃった。 
いい所の出自の女官長が下賤な女に仕えるのは、それだけで屈辱ものだったと思う、 
が美智子にはそういう細やかな配慮はない。 
下種な女そのもの。 
今もって誰も親身にはなってくれない、だから国民の声を雑音だと切り捨て、 諸々権力行使して憂さを晴らしているw 

 

 と書かれていた。

 

長くなりましたので、肝心の訂正の入った後半部分7月1日号については次のブログに書きます。