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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

世界に発信されるフィアンセ小室と皇室

世界に発信されるフィアンセ小室と皇室

 

ここ何日も小室親子の強烈な写真を見ながら、期待外れの方向に進んで行く記事をなんども読んでいたら、すっかり気が抜けてしまいブログを書く気もなくしてました。

 

 

アメリカから世界に発信される眞子さまの婚約者

週刊新潮からまた、「小室圭米国留学、特別待遇、異例、フォーダム大、授業料全額免除は一人だけ、ロイヤルコレクションを利用したと勘ぐられてもやむなし」ーという記事が出ている。

 

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日本にいる間は警備費に月500万から700万かかっていると言われていた小室さん。海外に出せば、眞子さまと遠距離になる上、ロースクールの学費と生活費で3000万。日本にいるよりおトクと宮内庁は考えたのかもしれないけれど、結果的にこの方のダークでずるいイメージが皇室とくっついて世界中に配信されてしまい、皇室のイメージも安っぽくなったに違いない。

 

質素倹約を愛してない皇室。出て行くお金が半端ない

画像:SAPIO 2017年3月号より

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一番上の吹上大宮御所と書いてあるところが、昭和天皇香淳皇后のお住まいだったところです。

(昨年3月の段階では、SAPIO編集部も当然退位された天皇皇后両陛下は現在、空き家になっている吹上大宮御所に移られると思い、上の図に御所から吹上大宮御所への移動矢印を引いたのでしょう。)

その下の御所と書かれたところが、今上陛下と美智子様の現在の住まい。

例の週刊誌に書かれた、昭和天皇が愛した自然林を刈って、「50億以上」かけたとされる、床面積1200㎡、部屋数100以上、迎賓館やコンサートホールまで備えられた新御所。

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http://www.ootapaper.com/entry/2018/05/07/191947

退位後の住まい
香淳皇后崩御した後、吹上大宮御所は居住者が不在となり(現在は宮内庁が建物を管理し、維持している) 
本来ならここを改修すれば、8億4千万円もかかる高輪皇族邸の仮住まいは不要 。
今誰も済んでいない空き家なのだから、即工事に取り掛かることができる 。
両陛下が引退後の住まいに東宮御所を希望するから、皇太子一家が引っ越した後の工事になり、仮住まいが必要になる 。
8億4千万も掛ける(今は5億円半ばに削減)仮住まいはその後に空き家になる 。
これほど無駄でバカバカしい話もない。
 
(以上、5chから、ものすごくわかりやすかったので引用) 

「高輪皇族邸」の画像検索結果

仮住まいした後、また誰も住まない空き家になる高輪皇族邸

天皇陛下の退位と新天皇の即位関連の準備費用として35億6千万円が計上された。

住まい関係の経費は17億3千万円。(ここから3億円ほど削減  (7/8))

天皇陛下が退位後に仮住まいする高輪皇族邸(東京都港区)の改修、その後に「仙洞(せんとう)御所」として住む東宮御所(東京・元赤坂)の倉庫新築などの費用が盛り込まれた。〜〜

皇位継承に伴う即位の礼」などの儀式関係費は16億5300万円。

https://www.asahi.com/articles/ASKDP6J10KDPUTIL04Z.html

 

 

吹上大宮御所に住む前、昭和天皇が過ごしたボロボロの御所


昭和天皇が過ごしたボロボロの御所

 

太平洋戦争中に昭和天皇防空壕として使われた皇居・ 御文庫(ごぶんこ) 付属室。

付属室は地下10メートルのところにあり、広さは330㎡

会議室が2つと控室、機会室があって、それぞれ1メートルもの幅の鉄筋コンクリートの壁で仕切られていました。

70年前の夏に、天皇が戦争終結を「聖断」した歴史の舞台。

御前会議が行われた地下の会議室は、分厚い鉄扉にさびが浮かんでいた。

こちらでは、宮内庁が公開した⇩御文庫付属室の2015年当時のものが見れます。

「聖断」舞台の防空壕 天皇が終戦決意 宮内庁が公開 - YouTube

昭和天皇が戦中、戦後を過ごされ、戦争終結の「聖断」をした歴史的な建物であるのに、あまりに粗末に扱われ、朽ち果てた様子が痛ましいです。

 

昭和天皇が過ごしたボロボロの御所

途中からテキスト起こし。

 

(御文庫)付属室の完成に先立って、昭和20年5月米軍機B-29250機来襲し、焼夷弾を投下しました。

これにより東京では16万戸が全焼し、皇居も大きな被害を受けます。

大小27棟もの明治宮殿も全焼。

その知らせを聞いた陛下は

「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」

とつぶやきました。

翌日、その焼け跡を昭和天皇がご覧になります。

同行した警衛局長が詫びますが、陛下は

「戦争のためだからやむを得ない、それよりも多数の犠牲者を出し、気の毒だった。残念だったなぁ」

とおっしゃったそうです。

以降、やむを得ず宮内省第2期庁舎を仮宮殿とし、政務はそちらで、居住は御文庫という状況になりました。

広島、長崎に原発が投下されると、いよいよ皇居にも原爆投下されるのではという憶測も流れ、両陛下は地下の御文庫付属室へ避難されます。

そして8月9日と14日に御前会議が開かれたのもこの場所。

そして終戦

東京は一面の焼け野原でした。

町の復興もすぐには進みません。

同様に皇居もまた宮殿が消失してしまったため、両陛下は御文庫での生活が続いていました。

しかし、この御文庫、爆弾の飛来を想定して建造したのはいいものの、天井に詰めた砂は建設当時に雪が積もっていた砂をそのまま詰めてしまっていて、溶けた水が何年も経ってからコンクリートから染み出してぽたぽたと落ちてくるありさまでした。

同じ御文庫付属室は地下深くにあったため、そこから伝わってくる湿気もひどいものだったと言います。

スーツを吊るしておくと一両日のうちに湿ってしまったのだとか。

こんな場所に陛下を住まわせては置けない、と侍従は御所の新造を提言しますが、陛下は「世の中には住む家のない人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから」とあっさり却下。

では、せめて修理を・・・と、調査してみれば天井裏からなんとドラム缶2本半もの水が出てきたのです。

これはいかんと再三にわたり、陛下に新造を奏上するも、やはり陛下の答えはNOでした。

そして日本は戦後の混乱期を乗り越え、高度経済成長期を迎えます。

昭和34年、皇太子殿下(今上陛下)ご成婚で世間はミッチーブームに沸きますが、その時ですら、なおまだ両陛下は御文庫にお住まいになっていました。

結局それからさらに2年、終戦から丸16年経過してようやく新たに建てられた吹上御所にお移りになったのです。

吹上御所は延べ 1,504 ㎡ 。

鉄筋コンクリート2階建ての洋風建築で「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」とこの年(1961年)に還暦を迎えた陛下はおっしゃったのだそうです。

 東京オリンピックが昭和34年。あの頃にも昭和天皇防空壕に住んでいらしたのだ。

仁徳天皇の民の竈のお話のまま。

  

両陛下、静岡訪問をお取りやめ 大雨被害にご配慮

https://www.sankei.com/life/news/180707/lif1807070017-n1.html

宮内庁は7日、天皇、皇后両陛下が9~10日に予定していた静岡県への私的旅行を取りやめられると発表した。両陛下は、記録的な大雨の影響で土砂崩れや水害が相次ぎ、各地で多数の死者や安否不明者が出るなど、被害の拡大に懸念を示された。8日に予定していた都内でのコンサート鑑賞も中止される。

 両陛下は9日に静岡県入りし、親交のある女優の宮城まり子さんが運営する養護施設「ねむの木学園」(掛川市)を訪ねるなど県内各所を巡られる予定だった。

 

 7月2日から4日まで貧血とめまいで公務をお休みされていた陛下。

それなのに、私的旅行へは行かれるつもりだったのですね。