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皇室関係の報道を集めて紹介しています。女性宮家に反対、男系男子継承絶対の立場です。

雅子さま、引き継がれようとするお気持ちは以前からお持ちだった [養蚕]

雅子さま、引き継がれようとするお気持ちは以前からお持ちだった [養蚕]

今週の女性セブン、女性自身は揃って雅子さまが皇后のご養蚕を継承されることを記事にしている。

 

 

女性セブン2018年5月31日号
前半部分ー美智子さまのご希望で日本古来の蚕の飼育継続された

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180517-00000013-pseven-soci

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 奈良・東大寺大仏殿の北に位置する正倉院には、奈良時代聖武天皇とその妻・光明皇后ゆかりの品など9000点を超える宝物が収蔵されている。その中には、傷みや劣化のために、その歴史的・文化的価値が失われそうになったものもある。すんでのところで防いだのは、美智子さまの「こだわり」だった。

 5月13日午前、皇太子ご一家が皇居・紅葉山御養蚕所へ足を運ばれた。

「古くは日本書紀に皇室と養蚕の関係をうかがわせる記述があります。現在の皇室による養蚕は、明治天皇の皇后・昭憲皇太后が始めました。『皇后の仕事』であり、美智子さまの次は、雅子さまに引き継がれるものと考えられていました。その日、雅子さまは蚕に桑の葉を与えたり、繭の収穫作業の作法について、美智子さまから直接説明を受けられたそうです」(皇室記者)

 毎年5月上旬頃に「御養蚕始の儀」が行われ、同月末頃に糸が収穫される。その糸は、国賓への贈り物などに使われるほか、愛子さまや悠仁さまの産着にも使用された。

 御養蚕所で飼育される数種の蚕の中に、純国産種の『小石丸』がある。病気に弱く飼育が難しい上、生産性が低く、一般では取り扱われることが少なくなっている。皇室でも昭和から平成に移り変わった際に、生産中止が検討された種だった。

「日本古来の蚕が姿を消してしまうのを惜しまれた美智子さまが“もう少し育てたい”と希望されたことで、生産は継続されることになりました。後に、正倉院に収蔵された古代絹織物の復元に、その小石丸の糸が適していることがわかり、実際に美智子さまが収穫された糸が使用されました。美智子さまの『英断』がなければ、復元事業は実現しなかったかもしれません」(前出・皇室記者)

 国策として絹や生糸の輸出が奨励された時代の昭憲皇太后貞明皇后香淳皇后、そして美智子さまへと受け継がれた伝統の一方、これまで秋篠宮紀子さま眞子さまが御養蚕所に足を運ばれたことがあったが、雅子さまは今回が初めての訪問だった。

そのため“雅子さまは虫が苦手なのでは”と囁かれたこともありました。ですが、これにはご身位の問題があったようです。雅子さまは“皇后の仕事に、皇太子妃が積極的に介入してはいけない”というお考えから遠慮が強かったようで、引き継がれようとするお気持ちは以前からお持ちだったそうです。実際、今回は雅子さまの“引き継ぎたい”というご意向が美智子さまに伝えられたことからスタートしています」(前出・皇室記者)

 

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「遠慮が強かった」ーこれまでの雅子さまを知っている人が「あー、そうだったのね」と思うでしょうか。

 

(そのほかに、記事になってる

陛下の「最後のお言葉」をめぐる「宮内庁VS官邸の駆け引き」重大証言を入手!

史上初退位行事に『静かなるご決断』

についてはここでは省略します。)

ネット配信されました。

headlines.yahoo.co.jp

  

女性自身2018年5月29日号
雅子さま 皇后としてー廃止寸前の養蚕ご継承を直訴
美智子さまの悩みを救った「母の日」の“ご恩返し”愛!

雅子さまが美智子さまに直訴された養蚕ご継承 その重大な意味(女性自身) - Yahoo!ニュース

陛下と美智子さま 愛のテニスクラブで60年間変わらないこと(女性自身) - Yahoo!ニュース

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雅子さま美智子さまに直訴された養蚕ご継承 その重大な意味

雅子さまは5月13日、皇太子さまや愛子さまとともに皇居を訪問された。ご一家は両陛下と、皇居にある紅葉山御養蚕所を訪問し、美智子さまから直接、作業や施設について説明を受けられたという。

5月10日の宮内記者たちへの定例会見で、お代替わり後に、皇居内での養蚕は「美智子さまから雅子さまが引き継がれる」と明らかにされた。皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんはこう評価する。

雅子さまが自ら継承を申し出られたところに、揺るぎのない“新皇后となられるご自覚”を感じます」

歴代の皇后の手による養蚕は、「日本書紀」にも記述があるほど長い歴史を持つ。1871年に“皇后の仕事”として復活後は、美智子さままで4代、147年にわたって引き継がれてきた。

「すでに国の基幹産業ではなくなった養蚕が、皇后の神事として平成の現在まで継承されているのは、美智子さまの強い思いがあるからです」(皇室担当記者)

愛子さまと悠仁さまのご誕生に際しては、自らお育てになった蚕「小石丸」の絹糸で産着をお仕立てになり、贈られた。また、眞子さまが小学3年生のときには、養蚕についての長い手紙を贈られた。美智子さまは、次世代の皇室にも養蚕を継承してほしいと思われていたはずだ。しかし、次の皇后であり継承者となられるべき雅子さまには、なかなかそのお気持ちをお伝えになることができなかった。

美智子さまは大きなジレンマがありました。雅子さまに継承してほしいお気持ちと、療養中の雅子さまに無理をさせたくないお気持ちの間で、ずっとお悩みになっていたのです。雅子さまは、そのお気持ちをお察しになって、今年が最後となる美智子さまの養蚕、そしてお代替わりまで1年というタイミングで一念発起、継承を直訴されたのです」(前出・皇室担当記者)

側近を介しての正式な伝達は4月末だったが、雅子さま美智子さまに、前もって継承の意志をお伝えしていたのでは、と宮内庁関係者は話す。

「その機会があったのは、4月10日、両陛下の結婚記念日の夕食会です。これまでのお気づかいに『ご恩返しを』と考えられ、雅子さまが申し出られたのでしょう。美智子さまは、『無理をせず、できる範囲でいいから』と、雅子さまの背中をやさしく押されたに違いありません」

美智子さまが養蚕に取り組まれるお姿を、じかにご覧になった雅子さま

雅子さまが御養蚕所を訪問された5月13日は、母の日でもありました。皇太子ご一家の、美智子さまへ温かなご配慮が感じられます」(前出・皇室担当記者)

ずっと願われていた、雅子さまとご一緒の養蚕。美智子さまにとって、なによりの「母の日」のプレゼントになったにちがいない。 

  

記事の中にある、美智子さま眞子さまに送った手紙

2012年3月23日の週刊誌に載った全文。

http://livedoor.blogimg.jp/royalfamily_picture/imgs/8/4/8497aeee.jpg

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眞子ちゃんへ

 眞子ちゃんは、ばあばがお蚕さんの仕事をする時、よくいっしょに紅葉山のご養蚕所にいきましたね。

今はばあばが養蚕のお仕事をしていますが、このお仕事は、眞子ちゃんのおじじ様のひいおばば様の昭憲皇太后様、おばば様の貞明皇后様、

そしてお母様でいらっしゃる香淳皇后様と、明治、大正、昭和という三つの時代をとおってばあばにつたえられたお仕事です。

 眞子ちゃんは紅葉山で見たいろいろの道具を覚えているかしら。

蚕棚の中の竹であんだ平たい飼育かごをひとつずつ取り出して、その中にいるたくさんの蚕に桑の葉をやりましたね。

蚕が大きくなって、桑をたくさん食べるようになって桑をたくさん食べるようになってからは、

二かいにあるもっと深い、大きな木の枠のようなものの中に移して、こんどは葉のいっぱいついた太い桑のえだを、

そのまま蚕の上においてやしないましたね。

しばらくすると、見えない下のほうから蚕が葉を食べるよい音が聞こえてきたのをおぼえているでしょう。

耳をすませないと聞こえないくらいの小さい音ですが、ばあばは蚕が桑の葉を食べる音がとてもすきです。

 

 蚕はどうしてか一匹、二匹とはいわず、馬をかぞえるように一頭、二頭と数えることを眞子ちゃんはごぞんじでしたか?

あのとき、眞子ちゃんといっしょに給桑をした二かいの部屋には、たしか十二万頭ほどの蚕がいたはずです。

眞子ちゃんはもう、万という数字を習いましたか?少しけんとうのつかない大きな数ですが、

たくさんたくさんの蚕があそこにいて、その一つ一つが白や黄色の美しいまゆを作ります。

 きょねんとおととしは眞子ちゃんも自分で飼ったので、蚕が何日かごとに皮をぬいだり、

眠ったりしながらだんだん大きくなり、四回目ぐらいの眠りのあと、口から糸を出して

自分の体のまわりにまゆを作っていくところを見たでしょう。きょねんはご養蚕所の主任さんが、

眞子ちゃんのためにボール紙で小さなまぶしを作って下さったので、蚕が糸をはきはじめたら、すぐにそのまぶしに入れましたね。

 

蚕は時が来るとどこででもまゆになりますが、まぶしの中だと安心して、良い形のしっかりとしたまゆを作るようです。

まぶしには、いろいろな種類があり、山をならべたような形の、わらやプラスチックのまぶしの中にできたまゆは手でとりだしますが、

眞子ちゃんが作っていただいたような回転まぶしの中のまゆは、

わくの上において、木でできたくしのような形の道具で上からおして出すのでしたね。

さくねんは、ひいおばば様のお喪中で蚕さんのお仕事が一緒にできませんでしたが、

おととし眞子ちゃんはこのまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました。

サクッサクッと一回ごとによい音がして、だんだん仕事がリズムにのってきて・・・

また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい。

 蚕は、始めから今のようであったのではなく、長い長い間に、人がすこしずつ、よい糸がとれるような虫を作り上げてきたものです。

眉のそせんは自然の中に生きており、まゆももっとザクザクとした目のあらいものだったでしょう。

人間は生き物を作ることはできませんが、野生のものを少しずつ人間の生活の役に立つように変えるくふうをずっと続けてきたのです。

野原に住んでいた野生の鳥から、人間が鶏をつくったお話も、きっとそのうちにお父様がしてくださると思います。

 

蚕の始まりを教えてくれる「おしらさま」のお話を眞子ちゃんは、もう読んだかしら。

ばあばは蚕のことでいつか眞子ちゃんにお見せしたいなと思っている本があります。

 女の方がご自分のことを書いている本で、その中に、四年生くらいのころ、おばあ様の養蚕のお手伝いをしていた時のお話がでてきます。

まだ字などが少しむづかしいので、中学生くらいになったらお見せいたしましょう。

 この間、昔のことや家で使っている古い道具についてお話してとおたのまれしていましたのに、

暮れとお正月にゆっくりとお会いすることができませんでしたので、思いついたことを書いてお届けいたします。

今は蚕さんはおりませんが、もう一度場所や道具をごらんになるようでしたら、どうぞいらっしゃいませ。

たいそう寒いので、スキーに行く時のように温かにしていらっしゃい。

ごきげんよう

                            ばあば

眞子様

 

このお手紙は美智子さまが3年生の眞子さまあてに書いたとされていますが、公表されたのは2012年です。(12年後の、眞子さま20歳の時)

週刊誌にこのお手紙が全文載った意味は、美智子さま(皇室内部の方?)からか、雅子さまにあてて養蚕の大事さを伝えているようにも思えるのです。

 

このころの雅子さまについて

雅子さまへの「医師団の見解」は仕方なく出したとの指摘も

2012.12.26 07:00 

https://www.news-postseven.com/archives/20121226_162918.html

 

 2012年12月で、雅子さまの療養生活も10年目に入られたが、公務を休まれている一方で、私的な活動では元気な笑顔を見せられる雅子さまに対して、「雅子さまは本当に重い病気なのだろうか?」「いったい、いつ快復されるのか?」といった声も聞こえてきている。

※女性セブン2013年1月10・17日号

 

暴言事件で皇太子ご一家の護衛警官増員 スキー客から不満も

https://www.news-postseven.com/archives/20130408_180896.html

3月26日午前11時過ぎ、皇太子ご一家は3泊4日の日程で長野県奥志賀高原でのスキー旅行へ出発するため、東京駅に到着された。

 皇太子ご一家は駆けつけた人々に手を振りながら、改札口へと向かった。

 

 ご一家が改札を通り過ぎた、そのときだった。雅子さまを震撼させる事件が起こる。その場に居合わせた60代ぐらいの男性が、

「税金泥棒! 仮病・さぼりの税金泥棒! 皇室から出て行け!」

 

 と大声で罵声を浴びせたのだ。

 

皇太子妃雅子さま病状 東宮職医師団発表がほぼコピペで波紋

https://www.news-postseven.com/archives/20141217_293026.html

〜略〜 

 

皇室ジャーナリストの神田秀一氏もこう憤る。

 

雅子さまのご感想も医師団の見解も2013年のものと見間違うほど、酷似していました。 特に医師団に関しては、具体的な治療方法も明記せず、文章の並びを変えるだけですから、本当に医師団としての役割を果たしているのかと疑問を持たずにはいられません。

 

 これは雅子さまが国民に対して心を閉ざされてしまっている表れだと思います。美智子さま雅子さまと同じように、誕生日には文書でご感想を綴られますが、その言葉は一言一言、国民を思い浮かべられて書かれた心温まる文章です。雅子さまの文書を読まれた美智子さまは沈痛な思いでいらっしゃると思いますよ」

女性セブン2014年12月25日2015年1月1日号

 

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雅子さまは、2003年(平成15年、帯状疱疹になり療養。体調不良による公務欠席が目立ち始めたのは2000年(平成12年)7月の香淳皇后の「斂葬の儀」を欠席、翌8月の佐賀県訪問中止の頃から。

 

2004年(平成16年)5月、徳仁親王が訪欧を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言。

この発言は人格否定発言と呼ばれるようになる。

同年6月、適応障害の診断を受け、病気療養に入る。

 

こういうなかで、雅子さまは“皇后の仕事に、皇太子妃が積極的に介入してはいけない”というお考えから遠慮が強かったようで、引き継がれようとするお気持ちは以前からお持ちだったそうです。

と言われても全く納得できない。

 

 

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その他の今週の女性自身 の記事 

陛下と美智子さま 愛のテニスクラブで60年間変わらないこと

御所で育てられたバラ「プリンセス・ミチコ」の花束を抱かれた美智子さま。その手を引き、エスコートされた天皇陛下。5月5日、天皇皇后両陛下は、例年と同様に東京ローンテニスクラブを訪問された。

「出会いは軽井沢のテニスコートですが、その後、両陛下はご成婚前に、このコートで何度かプレイされています。お若い頃に通われた東京ローンテニスクラブは、いわば“愛を育んだテニスコート”なのです」(皇室担当記者)

この日、クラブで両陛下をお迎えしたメンバーの1人、天皇陛下学習院時代の後輩で、長年のテニス仲間である織田和雄さん(82)はこう語る。

「当日はおふたりとも、とても明るい笑顔で、メンバーと一緒に記念撮影された後、ご歓談を楽しまれていました。お土産に、白あんと味噌の『ちまき』を持ってきてくださいました」

実はこのちまきは、両陛下の思い出の品なのだと織田さんは明かす。

「ちょうど60年前、'58年の5月4日に、陛下と仲間が集ってテニスをしたのですが、美智子さまも招かれてミックスダブルスをされました。陛下と美智子さまは、前の年の8月に軽井沢で出会われたばかりでした。おそらく陛下のお気持ちをくんで、友人の1人がお誘いしたのだと思います。その日、端午の節句にちなんで陛下が持ってこられたお土産が、ちまきだったのです。以来両陛下は、5月にテニスをなさる際に、ちまきをお土産に持ってこられます」

ちまきは両陛下にとって、旧友との親睦の証であると同時に、ご成婚前の淡い記憶を呼び起こすものかもしれない。

「今回は、テニスはなさいませんでしたが、これからもお声がけいただければ、いつでも一緒にプレイさせていただきます」(前出・織田さん)

お代替わり後も両陛下はこのテニスコートで、60年前と変わらぬ仲むつまじいお姿を見せてくださることだろう。