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小室圭さんの wikipediaは削除だが、月刊リベラルタイムという雑誌に小室さん特集

「リベラルタイム12月号」で小室圭さんを特集している模様

目次から推測すると、小室さんの詳細というよりは小室さんの出たインターナショナルスクールやICUについてと、皇族との結婚でこれから迎える儀式についての特集のような感じがしますが、それにしても小室さんが堂々の表紙になっているこの記事に「一般人をのせるな」と抗議が来るのでしょうか。

小室さんはやっぱり公人ではないですか?

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http://www.l-time.com/

 

こちらで、一部閲覧できる

https://digi2.fujisan.co.jp/product/zasshi_viewer/1588679/?z_cry=0&z_dgmg=ffd65148991ad1b6fe26f0da423873ee

 

消えた小室圭さんの wikipedia

www.ootapaper.com

小室圭さんのwikipediaに削除依頼が出ていて、別ページで削除するかどうかについて審議していることを紹介しましたが、その後、本当に削除されたようです。

その時の話し合いで以下のようなやりとりがありました。

〜略〜

この後も、あくまで削除すべきという依頼主と、疑問を投げかける側の議論が続き、

「現時点において単なる一般人に特筆性がない」という判断は変わりませんので、これを最後のコメントとします。--Motoriyo会話) 2017年10月11日 (水) 01:10 (UTC)

 に対して、

池田隆政氏、島津久永氏、近衞忠煇氏、黒田慶樹氏、千家国麿氏等との比較はどうでしょうか。別段「なにか大きなことを成し遂げられて大々的に報道されて有名人にでもなった」ということではなく、姻族として注目を集めていると思われます。実際、人物の重要な具体的事績につき出典を挙げ詳細が記述されているものは皆無です。また、皇族の身分を離れられた内親王及び女王のうち眞子様のみ配偶者の記事がないという問題も残ります。--2402:6B00:4522:7600:1CB6:2409:FF06:6B76 2017年10月11日 (水) 01:15 (UTC) 

 という投げかけで議論は終わっているのですが、その後、小室圭さんのwikipediaは削除。

また、黒田さんについても現在削除依頼が出ているようです。

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削除に対する審議のやりとり

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それにしても2004年の婚約の時からずっと存在していた黒田さんのwikipediaが、突如として削除の方向に進んでいるのは、小室圭さんのwikipediaを削除したこととの整合性をとるためなのでしょう。

黒田さんのwikipediaは実に詳細に書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%85%B6%E6%A8%B9

出生から学生時代まで[編集]

1965年4月17日に、トヨタ自動車に勤務する父・黒田慶次郎と、母・寿美子の長男として生まれた。弟が一人いる。

1972年4月に学習院初等科に入学する。礼宮文仁親王(後の秋篠宮)とは初等科時代からの学友であり、高等科時代は写真部・地理研究会、大学時代は自然文化研究会でも行動をともにした。大学時代のサークル仲間には、川嶋紀子もいた。在学中の1986年に、父の黒田慶次郎と死別する。1988年3月に、学習院大学法学部を卒業する。

東京都庁職員として[編集]

大学卒業後に三井銀行に入行したが、1996年、31歳のときにさくら銀行(合併を経た現在の三井住友銀行)を退職する。翌年より、東京都庁に勤務する。東京都都市計画局総務部総務課の勤務を経て、結婚した2005年時点では東京都都市整備局市街地建築部建設業課建設業指導係の次席(係長級)を務めていた。

都市整備局総務部総務課係長を経て、2009年に管理職選考に合格して、翌年の2010年4月東京都建設局公園緑地部管理課課長補佐に昇任する。2012年4月に建設局第五建設事務所の用地課長に昇任した。2013年4月、都市整備局市街地整備部担当課長(公益財団法人東京都都市づくり公社総務部総務課長として派遣)。2015年4月1日、東京都港湾局総務部団体調整担当課長[1]2017年4月1日、東京都建設局公園緑地部利用促進担当課長。

結婚[編集]

大学卒業後も秋篠宮家とは交流があり、秋篠宮邸での友人・知人の集まり「さんまの会」にも招かれていた。2003年1月、この集まりの中で、顔見知りであった紀宮清子内親王と再会[2]。2年余りかけて交際を深めた。秋篠宮自身が後に記者会見で、「最初二人が会うきっかけを作ったのは私でありますし、それから、二人が会ったうちの何回か、場所を提供したのも事実であります」等と逸話を語った[3]。交際に際しては、連絡手段に電子メール手紙を用い、特に手紙は秋篠宮が双方に届けたと言う[4]

2004年11月、清子内親王との婚約内定が報道され、一躍話題の人となる。同月9日にも婚約内定発表の予定だったが、中越地震に配慮し延期。高松宮妃喜久子の逝去により再延期され、同年12月30日に、宮内庁より正式発表された。翌2005年3月19日納采の儀(婚約)、10月5日告期の儀を経て、11月15日日比谷帝国ホテル結婚式披露宴が行なわれた。披露宴には天皇・皇后を始めとする皇族、親族、知人らの他、「上司」である当時の東京都知事石原慎太郎も出席した。

清子内親王は結婚に伴い、翌16日に皇統譜より除籍され一民間人の黒田清子となった。結婚後、慶樹も清子夫人に同伴し、皇室の内輪の集まりに出席することがある。

人物[編集]

天皇の皇女の結婚相手としては、皇族華族出身者でない史上初の人物である。

1990年6月、文仁親王と川嶋紀子が結婚。このとき慶樹らも親しい友人として取材を受ける[5]

趣味はカメラ自動車[6]。カメラはアンティークを好み[6]イギリス車を愛する[6]

友人からの愛称は『クロちゃん』である[7][8]

発言から[編集]

  • 「それ相応の通信手段を用いまして…」
- 清子内親王との連絡方法について
11月14日、婚約報道の際、自宅前での取材に対し
  • 「ご自分の考えをしっかりとお持ちになりながら、ゆったりと他人を許容することのできる寛さを持っておられるところや、物事に誠実でいらっしゃるというところ」
- 清子内親王の感じる慶樹の魅力について
  • 「宮さまには、これからの生活の多くが新しいことで、ご不安をお感じになることも多くおありかと存じますけれども、私といたしましては、できる限りのことをさせていただきたいと存じております」
- 内親王と結婚する心境について
以上、2004年12月30日・婚約内定に際する記者会見より

系譜[編集]

黒田家[編集]

大阪府堺市東京都
  • 祖父・慶太郎
祖父・黒田慶太郎明治15年(1882年)2月、現在の大阪府堺市に黒田吉三郎の長男として生まれ、東京高等商業学校(現一橋大学)に学び、卒業後は三井物産に入社。上海の日系紡績会社、上海紡織(シャンボウ)の代表取締役会長を務めた。慶太郎には二男六女があり、長男・慶一郎は秋月家から妻をむかえ、長女・徳子は税所家に嫁いだ[9]。秋月家、税所家ともに武家の流れをくむ旧華族子爵家)である[9]。慶一郎はトヨタ自動車販売常務を経て日本ケミカル工業会長となった[9]
  • 父・慶次郎、母・寿美子、弟
父・黒田慶次郎は初等科から学習院に学び、政経学部を卒業後トヨタ自動車に勤務[9]。東京・神田呉服問屋のひとり娘寿美子との間に二児をもうけるが慶樹が大学3年のとき、ガンに倒れた[9]。一学年下の弟は結婚して妻の姓を名乗っている[10]
  • 評価
慶樹は清子内親王と結婚した。ジャーナリストの友納尚子によれば、「黒田さんは、いわゆる名家の出身でもなければ、飛びぬけた資産家でもない[10]サラリーマン家庭に育ち、自身も東京都庁に勤める地方公務員[10]父親を早くに亡くし、結婚後は母親との同居が前提[10] ― 。こうしたごく庶民的な条件をもって、黒田さんに白羽の矢が立ったとは考えにくい[10]。結局は、ご学友として秋篠宮の信頼が厚いという、その人柄によるところが大きいのではないか[10]。」という。
なお、江戸時代大名家で華族黒田氏近江源氏筑前福岡藩主、旧侯爵)や、黒田清隆を祖とする黒田家(旧伯爵)などとは血縁も含めて無関係である。

脚注[編集]

  1. ^ 「都庁本庁に栄転 「部長職」に手が届くサーヤご主人「黒田慶樹さん」」週刊新潮2015年4月30日号
  2. ^ 平成16年12月30日・婚約内定に際する記者会見より
  3. ^ 文仁親王殿下お誕生日に際し(平成17年)”. 宮内庁2013年10月20日閲覧。
  4. ^ 2004年11月15日 朝日新聞紀宮さまと黒田さん、メールで愛育む 秋篠宮さまが仲介」
  5. ^ アサヒグラフ 1990年7月臨時増刊号「おめでとう礼宮さま紀子さん、爽やかロイヤルカップル」の記事『学友座談会』に慶樹も参加している
  6. a b c 文藝春秋』(2005年、新年特別号)100頁
  7. ^ 2005年11月15日 読売新聞「「新居祝いのお酒楽しみ」黒田さんの親友・原 幸一さん
  8. ^ 2004年11月15日 中日スポーツ幼なじみ「クロちゃん」「サーヤ」」※アーカイブ
  9. a b c d e 文藝春秋』(2005年、新年特別号)98頁
  10. a b c d e f 文藝春秋』(2005年、新年特別号)99頁

外部リンク[編集]

 

私は逆になぜ、小室さんもこれくらいの情報がwikipediaに載らないのだろうかとそっちの方を疑問に思う。

降嫁されるから関係ないという人がいるが、今だって婚約者の身の上で赤坂御用地秋篠宮家の車を迎えに来させてデートしていたり、圭さんにも母親にもSPがついて職場やパート先まで警護している。

陛下に裁可されたのだから、今後は赤坂御用地内、皇居でさえ顔パスで入れることになる人物だ。

前のブログにも書いたように、清子さんは黒田さんとともにオバマ大統領の宮中晩餐会にも出席をし、黒田ご夫妻とオバマ大統領が控え室で歓談されていたことなども記事になっている。

親族なのだから当然、天皇皇后の記念日にはご夫妻で皇居を訪れている。

さらに、清子さんは天皇陛下の娘ということから「伊勢神宮の祭り主」にもなっている。

その配偶者について、一切公にできないというのなら、元皇族という身分を完全に捨てて生活するだけの覚悟とけじめがなければいけないと思うのだが、まだ婚約中だというのに、秋篠宮邸を訪れてデートしていたり、転職先を宮内庁のOBがさがしているとか、おかしなことばかり。

身分を超えて、庶民の男性と結婚することを選んだのなら、眞子さんが小室さん宅へ遊びに出かけるべきだし、仕事だって自分(小室さん)で見つけて、自分が眞子さんを養えると思った時にプロポーズなり結婚なりを考えるべきじゃないのか。

 

週刊誌は美智子さまの願いとして、降嫁後も公務をお願いするだの、眞子さんには悠仁さまの相談役をしてほしいだの、清子さんの次の伊勢神宮の祭り主は眞子さんだのと、けじめのない方向へ、けじめのない方向へと話が進んでいる。

眞子さまの結婚までに女性宮家創設を間にあわせろという人が識者にも政治家にもいる中、油断できない。

削除依頼は婚約解消の布石かと思ったのだが。

実は、小室圭さんのwikipediaが削除されるのは婚約解消の前触れ?そのための布石なのかとちょっと期待していたのだが、今回、小室さんが月刊誌の表紙を飾って特集されるということがわかり、結局wikipediaの方には何か不都合な真実でも書かれていたか、書けない不都合な真実があるために、削除依頼から削除の流れになったのかなと思う。

実際小室さんには謎が多い。

黒田さんの経歴には、

“大学卒業後に三井銀行に入行したが、1996年、31歳のときにさくら銀行(合併を経た現在の三井住友銀行)を退職する。翌年より、東京都庁に勤務する。東京都都市計画局総務部総務課の勤務を経て、結婚した2005年時点では東京都都市整備局市街地建築部建設業課建設業指導係の次席(係長級)を務めていた。”

とここまで詳細に書かれているのに、小室さんの方はいつ銀行に入り、いつ銀行を辞めたのかもわからない。銀行を辞めて、次の奥野法律事務所に入ったとされる昨年の8月の間は何をしていたのかもわからない。

 

今年の5月に初めて眞子さんの婚約者としてマスコミに登場してから報道されるたびに経歴が変わる。

国際弁護士を目指しているのか、と聞かれても本人は「今は話せない」というだけで否定していなかった。

マスコミが常に張り付いているのに、実は週3日のアルバイトではなくフルタイムの正社員だったと婚約会見前にいきなり訂正が入ったり、大学院で法律に関係ない経営学を勉強をしているのはなぜかと週刊誌が書いたので、「国際弁護士になるつもりはない」と訂正が入り、ではなぜ法律事務所で働いているのかと別の疑問が湧くという繰り返し。

そもそも奥野法律事務所では正規社員として働いていると言いながら転職を考えているという結局「腰掛け」の状態。結婚してどうやって暮らすつもりなのか、そこが見えないから皇室の力をかりるつもり、眞子さんの一時金を当てにしている結婚と批判されている。

婚約会見の前、国民からたくさんの疑問と反対の声が届いていたはずだ。

でも結局、その声の存在すらなかったことになっている。

宮内庁長官に「小室さんは立派で眞子さまにふさわしい方」と言わせて、国民の疑問は一切スルーされた。

そして、小室さんのwikipediaは削除され、道連れ的に黒田さんの情報までなくして、内親王の相手は一般人としてしまおうというのなら、その方向性が怖い。

おそらく小室さんが表紙のリベラルタイムはきっと当たり障りのないことしか書いていないのでしょう。

書けるなら、wikipediaだって残しておけるはずだから。